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2013年04月13日

退職するにもプロセスあり

3月15日の夕方、突然、社長から呼び出された。
半ば予想はしていた呼び出しだったが、やはりこの時期というので、発破を掛けられるだけなのだろうと考えていたが、そうではなかった。
 
だが半ば想定していた事態ではあった。
今年の初めあたりから、専務からの風当たりが急にきつくなってきていたからだ。
ある大口案件対応製品(特注)のVE(ヴァリュー・エンジニアリング)について、中国工場の子会社社長(自称元設計技術者)とまともに衝突してしまったのが、原因であると考えている。
それが、去年の10月初めのことだった。
あまり具体的に述べる訳には行かないが、その機械は今まで会社で扱った事の無い類の物で、特に中枢部の構造に求められている組立精度は、会社の既存製品のどれとも次元を異にするものだった。
小生の、技術部門責任者としての立場からは、最初の1ライン(数台製作することになっていた)は、顧客メーカーから提供される資料をベースに、以前の案件時に顧客で設計・製作した物を、今回の案件の基本仕様に合わせただけの、設計思想に全く変更を加えない、ほぼフル・デッド・コピーで製作すべきだと考えられる物で、事実最初の案件対応会議(週に1回ある社長主催の定例会議の中だった)の席上、そう主張した。
しかし、その段階ですでに、顧客サイドからはVE推進方針が通知されていたのだそうである。云うに事欠いて、「設計変更してコストダウンしないと、Aさん(=社長のことだ)のところの儲けが無いですよ」なぞと親切ごかしな台詞で社長を説得したのだそうだ。
これは会社の営業戦略に顧客がクチバシを突っ込んだも同然で、云ってみれば大きなお世話である。この案件で利益を出すつもりなのかどうかは、こちら(A社長)の勝手だ。何しろ大口で付き合いも長い顧客だし、同じ案件での2次契約・3次契約が見込めるハナシだったので、1次契約で損をしても後で取り返すという考え方も出来る案件だったから、さらに「余計なお世話」なのである。
単価を押し付けて来た上に、その単価が全く儲からないものなのを承知していると、言ってのけている訳でもある。
しかも、このVEを顧客サイドも全社挙げて推進している訳でもなさそうだという情報まで、社長の他に専務が拾って来ていたりまでしていた。
実際にその製品の設計統括を担当していた客先の主任技術者は、こちらの中国工場の社長が提案した組立精度見直しを、再検討期間不足という、小生達技術者にはあっさり納得出来てしまう理由によって、一蹴したのだから。
別の云い方をするのなら、そのH氏という顧客サイドの主任技術者は、VE方針に従って大きくコストダウン出来る事が判り切っている中枢部の組立精度見直しを、時間に余裕があったもっと以前に、始めていなかったという事であり、そういう命令を上層部から受けていなかったか、その命令自体がタイミングが遅くて断ってしまったものと解釈出来た。
要するにお客さんの内ゲバ騒ぎに、下請けのこちらが社長ぐるみで巻き込まれた格好である。

で、あちらも本社筋ではない立場である顧客中国法人の副社長と、こちらの社長の話し合いでは、VEは大いに推進すべきであり、仕様の見直しも含めた大規模なプロジェクトであるかのごときハナシだったのが、日本側ではもっと小規模なところで改良をまとめて、納期を守ることが優先という、いかにも日本的スケールの小さいハナシに落ち着かせたい雰囲気だったのだ。
しかもW氏という、こちらの中国工場(現地法人)の社長(自称元技術者)の、自社の工作技術の現状把握について、現実離れした認識しかないのが明らかなVE案が飛び出して、事態はさらに混乱したのである。
最初、専務はこのVE要求に対しては、小規模に収めてお茶を濁す戦略を口にしていたのだが、社長がW社長の改設計案に、見切り発車でGOサインを出した途端に、手の平を返した。
こうなると「技術部門責任者」という立場上、もう前言撤回出来ない上、そのW社長案に対する技術検討レポートで「間に合わないし工作・組立技術レベルも不足」と判定した張本人だから、小生が孤立することになるのは当然の結果だった。しかもW社長が65才とは思えない程冷静さを欠いた反応を示して本社内をかき回してくれた(W氏は社長に大事にされていたのだ)上、意地になってさらにエスカレートしたVE案を提出して来て社長を説得してしまったのである。
開発要因がどんどん濃厚になってきてしまっていた。部材開発まで含まれる(購入予定の部材は高いから自社生産すると言い出したのである)本格的開発プロジェクトになってしまったのだ。が、これを仮受注から2.5箇月で、製品設計を完了して納品用の設計に仕上げなければならないスケジュールに、変わりは無いのだ。顧客はVEの内容には一切踏み込んで来ていないのだから、当然だろう。どんなに大変な改良をしようが、開発経費はこっち持ちで、内容に対する責任も全面的にこっち持ちなのだ。
生産単価は低減出来るかも知れないが、1次契約の納品数は10台以下である。この数台で開発経費を減価償却するとなれば、簡単に脚が出るだろうことは、火を見るより明らかだった。
実際、小生の試算では、このままもしW社長の云う通りにVE開発を進めた場合、1.5箇月を予定していた設計期間は、精度確認と補正設計、工作仕様の見直しを含む組立工法の開発等、最低1次の試作を含めて3箇月以上に延びてしまう。
前述の様なスタンスでいる顧客が、開発内容と予想開発期間をネタにした納期交渉に、応ずるはずは無い。従って、想定される開発工程からして無理なことになる。
で、そんなこんなで11月も下旬に入ってしまったのだが、その間に中国工場から出されたVE提案は数次にわたり、それどころか意地になったかの様に中枢部に全面改良を施す案が必ず入っているという案配で、検討・認否判定を任された小生は、同様の理由の繰り返しで否認し続けなければならなかったのだ。
もう設計案をまとめ込んで決定しなければならない時期だ。が、中国からのVE提案は止まらない。小生に直接提出ではなく、専務や社長経由で来るので、扱いが面倒になる。否認される度にW社長から専務や社長に、愚痴メールを連発するのも、姑息で頭にくる所業だ。その度に、その愚痴を打ち負かすだけの内容を持たせた検討結果レポートを提出しなければならないのも、面倒千万である。
そしてとうとう営業戦略上の動機であることを名言した上で、VE推進の社長決裁が下ったのだが、当然最初から反対していた小生は、そこにどんな責任も付与されなかった。が、では一技術者として具体的に何をせよとの命令も、ほとんど出なかったのである。プロジェクト推進・統括責任者には専務が就いた。
社長に任されてしまうと、そこは本来かなり無責任な性格なのが社内に知られている上にエエカッコシイの専務である。いきなり方針を180度転換して暴走し始めた。(最初は小生同様、大規模なVEには反対していたのである)なにしろ最終的な開発責任は兄貴(=社長)が執ってくれるのだ。失敗してもコワい兄貴に怒られる心配が無いのであるから、好き勝手に仕事を進められる(遊んでもかまわない)訳である。
小生はいち早くそこに気付く事が出来なかったし、後で気付いても、筋を曲げてその状況に乗る気にはなれなかった。それはある程度状況を知っていたカミさんも、同様であった。
小生達夫婦の判断では、このVEプロジェクトをこのままの形で実行すれば、ほぼ確実に作り直し同然の大改修が入って1台に2台分以上の経費がかかり、さらに大幅な納期遅れの違約金の発生で、会社の屋台骨が傾く程の損失を出すだろうと考えていた。もしここで方針転換してフルデッドコピーに設計を戻すのならともかく、別のVE案を考案・まとめ込んでいる時間は、もう無い。
最後の抵抗として、フルデッドコピーの出図準備工程を平行して進める内容の工程計画表を提出・却下されて、この無謀千万なプロジェクトはスタートしたのだ。

ここまで述べればお判りだろう。社内パワーゲームの行き先に完全に無関心であった専門馬鹿の、典型的な末路である。高杉良氏あたりなら見向きもしないようなステロタイプだ。

年が明け、月の中旬頃から専務の態度に変化が現れ始め、2月上旬のISO定期審査後、社長指示で専務が技術部門の統括責任者になった。事実上、技術部門長としての小生はお払い箱という訳である。
後は雪崩をうつ体という奴で、専務は次々と小生から仕事を取り上げて行き、2月下旬になると小生の実質上の部下は2人に減り、中国工場の設計班の管理指導も、専務がやることになり、小生は外された。
中国工場は、前述したかも知れないがA社が中国に生産拠点を作るために、数年前に中国当局に登記して設立した現地法人で、A社の投下した資本で運営されたいる完全子会社だが、つまりは本社とは別の企業である。
A社の社員であって中国工場には籍を持たない小生は、中国設計班のメンバーに対する人事権は形式上、一切持っていない。それは専務も同じなので、W社長の損になる様な事を調子に乗ってやらかさねばいいがと心配だったが、どうにか半月ばかりの間、そちらは何事も無く過ぎて行った。
W社長が本社打合せ等で帰国しなかったからだと、小生は解釈しているが……。
その間、小生はというと、残った2人の部下の面倒を見、小口案件(実は大口より小口の方が利益が出やすい価格構造になっていると、小生は考えていた)の立案設計と顧客の無茶な相談への対応で、結構時間が潰れていたりもしていたのである。
当時2件がほぼ同時に進行中だった大口案件に対する設計対応も、専務に持って行かれており、心配ではあったが部分的にしか手が出せない立場であった。社内で誰も配管設計・製作のノウハウを持っていなかったので、大口の1件で初めて発生した配管モジュールの立案設計をしたくらいである。
間抜けな話だが、この時、上層部の誰も、小生の業務経歴書を読んでいないことが判明した。小生が配管設計経験者であることを、専務も社長も知らなかったのだ。
このモジュール、元設計技術者のくせに、W社長が経験も無いのにナメてかかってお気軽に引き受けてしまい、数日で放り出した代物なのだが、小生もまさか誰も知らないとは思わなかったので、2箇月以上、放置していたものなのである。

で、3月15日の夕方、小生は社長に呼び出されたのであった。
社長は専務から小生の現状を報告されているはずなので、社長が小生に引導を渡すために呼び出した可能性は充分にあるのだが、当時(今も続いているはずの)会社の状況からすると、容易に小生の首を切れないのではないかとも考えていた。引導を渡されるとしてもロングスパンのタイムリミット付きになるはずだという判断である。
この時点で、会社が技術管理職を新規に募集している徴候が、見られなかったからだ。さすがに代わりの部門長の人選も決まらない内に、小生をクビには出来ないだろうという理屈であるし、今の部下達から選ぶにしても、圧倒的に人手が足りなくなるので、最年長の48才で入社26年目のT君を次の課長に(彼が承知したとして)据えるにしても、そのT君か、順送りで押し上げられるS君の今の担当業務を引き受ける技術者が必要なはずで、それを募集している徴候も無かったからだ。
高をくくっていたと云われればその通りだが、小生の方にもそれだけの状況判断とこの1年間の実績に対する自負があったのは確かなのだ。

が、フタを開けてみれば退職勧告であった。それも「可能な限り早い時期に」という事で、遅くとも2週間以内で最後の出社にしてもらいたいとのこと。
現在進行中の2件の大口案件の、バックアップ要員は不要だということである。
小生の後任人事もしないそうで、技術部門は今後しばらく、専務の直接指揮下に入るとのこと。人手としてのもう1人は、ハイスキルでもオペレータ・レベルの人を、派遣も考慮に入れて募集するという。(社長はこの時点で、現在の技術者派遣の単価相場を、知らなかったらしいが)
自己都合退職の形だけは採りたくなかったので、解雇という形でハナシを持ちかけた。会社がそのつもりなら抵抗してもむなしいだけだ。
それに対しては、1箇月分の解雇予告金付き解雇で検討するという返事。約7箇月前、小生を正規採用する際のすったもんだを憶えていた社長としては、労働法規に詳しいこの元派遣技術者に文句を付けられないような形を優先して、こう返答したものと思う。これ、通例は即日解雇の時の作法で、会社側としては解雇通告(予定)日を対象者と予め相談しておくなどというのは、滅多に無い事のはずなのである。が、社長としては出来るだけ円満に、かつすぐにでも、小生を出社しないようにするのが先決という印象だった。
それが何のためだったのかは、ちょっと判らなかったが。

翌日の金曜日は社長は恒例の新潟工場の視察で不在だったので、退職形態の相談としては実質2日使って、次の週の21日に妥結した。社長としても一時帰休を会社で実施している都合上、「解雇」が発生した場合の補助金(雇用調整給付金)がらみの問題が無いか確認してからでないと、具体的な最終案を考えられない状況だったからだし、小生もその事情は承知していたからだ。
そして、引継に必要な日数の判断を最後に専務に任せることとして、4月1日あたりを最後の出社日とし、1日か2日残っていたはずの有休を消化し、正式に退職という事になった。

専務の判断は(こちらも退職が決まっていた)総務部門長のM氏が聞いて来たところでは「今月一杯で引継は充分」だとのことで、小生の正式な退職日は4月1日と決まったのだった。
最後の出勤日は3月29日である。
この最終決定が3月22日の金曜。社長はこの日の朝からやはり恒例の新潟出張だったし、24日の日曜から中国に飛んで29日夕方に帰国の予定であった。21日の面談の時点では、最後の出勤日は4月1日にしてもらう事になるだろうと、社長自身が要望していたくらいだから、社長も最終日に小生の挨拶を受けるつもりだったのは、はっきりしている。小生から水を向けて、社長からそういう言質をもらってもいたのだが、専務の判断によってそれもなくなる事になったのである。社長がこの決定を予め聞いている余裕があったとは、思えない。
専務がこの3箇月間に、小生にしてきた仕打ちを考えると、最後にしがらみがなくなった小生を、社長に会わせて社長の命令を専務がどの様に曲解して実行してきたのか、バラされるのを怖れての仕業とも受け取られかねない遣り口である。まぁ、何も考えていないという方に、小生なら1票、投ずるだろう。専務は(社長もだが)かなりの世間知らずで、こういう時の他人の気持ちを読み取る事が全く出来ない。又、もし小生が専務を告発したとしても、兄貴(社長)なら舌先三寸で誤魔化せると高を括っている様なところもあったので、そういう姑息なことを考える必要が無いのである。
とはいえ、勘ぐりたくもなる。月曜の夕方になって、専務は小生を別室に呼び出し、引継残件に何があるか小生に訊いてきたのだから。つまり小生からレクチャーを受けるべき残件があるかどうか、全体として抱えている案件数と内容を、把握していない内に前記の判断をしたという事になるからだ。
実際、昨年の10月あたりから細々とスタートしていた、ある新規顧客の、大口開発案件があったのだが、専務はそれが基礎技術開発からスタートの、A社単独では全く手も足も出ない開発案件である事を、全く判っていなかった。この1年、小生の部下だった4人は、全員生え抜きの社員で、既存の製品の知識以外、何も持っていない専門馬鹿ばかりである。当然、完全新規開発の考え方や手法を身に付けている人間も、小生が去った後は1人しかいない。新人から中堅だった頃、前社長の発案で開発して、結局ビジネス的には失敗に終わった設備系新製品の開発経験があるT君だけが、経験と資質があることになるが、T君もその製品の全体開発に関与した訳ではなく、モジュールの設計とメンテナンス技術標準を作った経験があるだけで、又、その設備系製品の開発の仕方も、前社長が陣頭指揮を執り、基本構想まで立案したもので、技術者達が主体的に動いて開発したというより、前社長の下っ端として働いただけだったらしい。かなり不安が残る陣容で、後を任せるしかないのを、専務は判っていなかったし、もうどうしようもないのも、判っていなかった。この案件はタイミングを見て手を引くべきだろうと言っておいたが、それだとてどこまで判っていたのかは、怪しいものだと小生は考えている。

とにかく、日程まではっきりした以上は、形式的には今でも部下であるT君、S君、M君、N君にはすぐに話しておかねばならない。特に、T君は海外輸出した製品のトラブル調査のため、25日から1週間、東南アジア某国に海外出張なのだ。帰って来たら課長がクビになっていましたでは、あんまりであろう。
実際、18日に課内スケジュールを確認した段階で、21日以降、月末まで、技術部門の4人が全員本社に揃う日は、1日もないのであった。最年少で紅一点のN君は、21日から2日間の休暇を取っていたし、T君は前述した通り25~30日まで海外出張。S君も25日に別件で、都心に日帰り出張の予定が入っていた。
余計な茶々を入れられたくないので、専務がいない時にしたい。(18日から技術部門に、専務専用の机があるのである。それ以前は営業部門に席があったのだが、以降は営業と技術の間を行ったり来たりしていた)
仕方ない。N君には月曜に話すことにして、専務が午後から外出したのを見計らい、話しておいた。
前々から、技術部門長が会社の業績不振の人身御供にされているのを知っていたT君が、真面目な顔つきで「すみません。援護出来なくて」と言ったのが、妙に物悲しかった。
1年間、専門外で小生には内容が判らない製品部門の技術サービスを、S君を率いて滞り無くこなし続けてくれた。
4人共、得難い部下だったと思う。(ボンクラな部分も含めて)
絵に描いたような優れた上司ではなかったはずだが、まぁ、頼りにはしてくれていたと自負していた。
やはり胸に響くものがあったのである。
週が明けた25日月曜日、N君が出勤。夕方になって彼女にも教えたら、がっくりしていた。

大口案件担当のM君から頼まれた、配管モジュールの最終仕様を客先担当者と詰め、基本的な購入品リストと手描きだが部品構成が判る図面と、ユニット全体の中での配置決定図の3次元データを作成してM君に渡すのが、設計者としての、最後の仕事になった。
すでに22日の時点で、営業にも言ってあったので、いままで小生が面倒を見ていた様な、客先折衝を要する立案案件を、営業連中がわざわざ拾ってくる事は、最後の週にはなくなっていた。
29日金曜日、専務は営業として顧客巡りに行ってしまっており、この日は留守。社長も留守。M君とN君、S君はいるがT君はいない。
定時少し過ぎに、技術の部屋を出た。営業部門と業務部門がいる大部屋に寄り、仲が良かった営業のボスに挨拶し、会社を出た。
まだ小生の退職を知らない女の子がいた事が、この会社らしい、と思った。

* * * * * * *

ここで小生の退職プロセスがおしまいで、この長いエントリもこれで終わりと思うだろうが、実は4月1日の月曜日、形式的には有休消化で休みのこの日、夕方に小生は会社に行ったのである。
なにも専務が日程を決定した時の事を根に持ってのことでも、残してきた仕事が心配だからでもない。単純にT君の顔を最後に見たかったのと、社長に挨拶するためである。そして在籍最終日の事務手続きを済ますためだ。普通なら法的義務があるのだから会社に任せ切りでOKなのだが、今回はM氏が退職しない内に、処理しておきたいからだ。

会社には16時半頃着いた。月曜の定例会議(相変わらずのマラソン会議だ)が終わった頃を見計らったのだ。
まず総務に行き、退職挨拶代わりにカミさんが持たせてくれた饅頭の箱を女の子に渡し、配ってくれるように頼み、それから社長室に行く。
社長とは、5分程話しただろうか。もし専務が前述したようなことを本気で心配したとすれば、そんなものは杞憂にすぎない。小生は今までの技術部門長の誰よりも、社長に性格が似ていたらしいが、それにしたって気心が知れているという仲ではないし、どちらにしても今更小生の知ったことではないのだから。
最後に、小生から求めて握手し、社長室を出た。
技術部室に行き、ちょうどいた専務に挨拶し、T君の無事帰国をこの目で確認して、彼の帰国の挨拶を受けながら、部屋を出る。T君、まるで報告口調だ。
営業部室で部門長のI氏に最後に会っておきたい。
I氏とは2件の新規大口顧客の仕様打ち合わせで営業同行した仲だし、妙にウマが合った。面白い案件を拾ってくる、面白いおっさんだった。
一緒に喫煙所に行き、連絡先を交換して、別れた。なんでも、近い内に新人歓迎会兼小生とM氏の送別会をやりたいのだとのこと。

会社にいたのは1時間程だったが、I氏に駐車場で手を振り、会社を出た。

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この記事へのコメント
なるほど、大変だったんですね。

私は現在の仕事の関係で「ワンマン企業のオーナー」と
「処遇に不満のある従業員」との揉め事を取り扱っております。

つくづく同族会社の経営陣は頭が硬いな‥と思うことが多いです。

これに懲りず、新しい道をお進みください。
Posted by ももっち at 2013年04月19日 12:35
こんばんは

久しぶりにこちらに訪問してみたら、こんなことになっていてビックリしました。

どうか、体には気をつけて、新しい仕事を見つけてください。
Posted by ONDA201 at 2013年04月20日 23:35
コメントありがとさんです。

ももっちさん
いやぁ、お仕事その方面なんですか。それは大変でしょう。
特に、生え抜きで来た2代目・3代目の経営陣は、大概の人が創業当時の「常識」や「相場」で動いていますから、感覚そのものが時代遅れになってしまっていて、駄目なことが多いのだと思います。中小企業の経営者でベンチャー等で成功した人って、ほとんどが創業者か、2代目3代目なら、入社前に他の会社に修行(奉公?)に出た経験を持っています。そうでなければ、余程しっかりした外様の役員が経営陣内で力を持っているか、です。

ONDA201殿
お久し振りですなぁ。
そちらはどうでしょう。ここのところ、景気は上向いている様で、御社の求人をよく見掛けますよ。
今のところ、面接まで行ったのは1社だけですが、前回の求職活動の時とは、だいぶ様子が違っている様です。
今度は、前回よりもっとスムーズに行きたいもんですな。
Posted by 壇那院壇那院 at 2013年04月24日 23:07
 
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