2014年01月26日
帰省記2014(1):カミさんの実家と義妹一家
今年の正月帰省は元日スタートだった。
先ずは、カミさんの実家たる、豊明のお子ちゃま祖父さんの家へ向かう。
先ずは、カミさんの実家たる、豊明のお子ちゃま祖父さんの家へ向かう。
出発は、それ程早くはなかった。なにしろ味馬鹿次男が最終日まで冬コミに出撃していて、大晦日の帰宅が22時という、一家全員が揃ったのがえらく遅かったせいもあり、又、あまり早くに豊明に着いてしまって、またぞろ外食三昧になるのも如何なものかという状況だからだ。
なにしろ、祖父さんが癌を患っているのは現在も変わらない事実であり、久し振りの長女一家の帰省に、張り切りすぎてもらいたくはない。
家を出たのは午前中ではあったがもう日が高い時刻で、途中で運転を、小生とカミさん、味馬鹿次男の3人で交替しながら、休憩しいしいなんとか、15時過ぎには豊明のお子ちゃま祖父さん宅に到着したのだった。
大体、都合の良い時刻である。
義妹一家は、義弟の実家に行っていて居ないのは、前もって判っていたが、実際に祖父さん祖母さんだけのところを見ると、少し安心したのは、正直なところだ。
義妹から祖母さんを介した伝言では、実家にある食材は自由に使ってくれて構わないとのことだったので、晩飯は在庫を使って作ることになった。
しかし実際に食材の在庫をカミさんと味馬鹿次男が調べてみたところ、どう使っても美味い物が出来そうにない、賞味期限切れしたのやら、怪しい化学変化を起こしていそうな物やら、首を傾げざるを得ない物がやたらと出て来た。
小生も、開封済みとは云え高野豆腐が冷蔵庫に入っていたのには驚いた。
味馬鹿次男が驚いていたのは、台所の各所に格納されているレトルト食品の山だったが、これは2人の甥っ子が現在中学生なのと、上の甥っ子が今年高校受験なのと無関係ではあるまい。
晩飯も済ませて夜になり、さて寝ようと思ったらもう12時を回っている。子供達は最初から居間で寝ることにしていたのだが、小生とカミさんは客間で寝る予定でいたのだ。義妹が客間の入り口をタンスで閉鎖してしまっていたので、客間には祖父さん祖母さんの寝室を通らねば出入り出来ない。最早就寝しているはずのこの2人の枕元を通過して、客間にアプローチする気には、さすがになれなかった。
仕方無く、布団3枚で5人が雑魚寝と相成ったのであった。
どうにも勝手が利かないのは、客たる立場を貫こうとすれば当たり前なのだ。実家なのだから遠慮は無用なのだと云えばそうなのだが、それで甘えるのは大人の対応とは云えないだろうし、祖父さんの体を気遣っての事でもある。
明けて2日も大した事も無く過ぎ、祖父さん祖母さんに関しては特に心配事も頭にくる事も起きずに済んだ。
とにかく、豊明を出るまでに実家のアブナい食料の大部分を処分したかったのがカミさんとしては本音だっただろうが、あまり派手にやると祖母さんが異常に気にするのは判っているので、程々にしておいた様である。
この夜は、ちゃんと客間で就寝出来たのだった。
翌朝は、早起きだった。そのまま荷物をまとめて、伊豆に出発したのである。
*
総じて、今回の豊明行きは、祖父さん祖母さんは気抜けするくらい大人しく、逆に、その場にいなかった義妹一家の生活振りが垣間見える帰省となった。
姉樽カミさんには、妹の手抜きっ振りが目立って見えたのではなかろうか。それともただ、妹との生活感覚の違いを再認識した、といったところだったろうか。
なにしろ、祖父さんが癌を患っているのは現在も変わらない事実であり、久し振りの長女一家の帰省に、張り切りすぎてもらいたくはない。
家を出たのは午前中ではあったがもう日が高い時刻で、途中で運転を、小生とカミさん、味馬鹿次男の3人で交替しながら、休憩しいしいなんとか、15時過ぎには豊明のお子ちゃま祖父さん宅に到着したのだった。
大体、都合の良い時刻である。
義妹一家は、義弟の実家に行っていて居ないのは、前もって判っていたが、実際に祖父さん祖母さんだけのところを見ると、少し安心したのは、正直なところだ。
義妹から祖母さんを介した伝言では、実家にある食材は自由に使ってくれて構わないとのことだったので、晩飯は在庫を使って作ることになった。
しかし実際に食材の在庫をカミさんと味馬鹿次男が調べてみたところ、どう使っても美味い物が出来そうにない、賞味期限切れしたのやら、怪しい化学変化を起こしていそうな物やら、首を傾げざるを得ない物がやたらと出て来た。
小生も、開封済みとは云え高野豆腐が冷蔵庫に入っていたのには驚いた。
味馬鹿次男が驚いていたのは、台所の各所に格納されているレトルト食品の山だったが、これは2人の甥っ子が現在中学生なのと、上の甥っ子が今年高校受験なのと無関係ではあるまい。
晩飯も済ませて夜になり、さて寝ようと思ったらもう12時を回っている。子供達は最初から居間で寝ることにしていたのだが、小生とカミさんは客間で寝る予定でいたのだ。義妹が客間の入り口をタンスで閉鎖してしまっていたので、客間には祖父さん祖母さんの寝室を通らねば出入り出来ない。最早就寝しているはずのこの2人の枕元を通過して、客間にアプローチする気には、さすがになれなかった。
仕方無く、布団3枚で5人が雑魚寝と相成ったのであった。
どうにも勝手が利かないのは、客たる立場を貫こうとすれば当たり前なのだ。実家なのだから遠慮は無用なのだと云えばそうなのだが、それで甘えるのは大人の対応とは云えないだろうし、祖父さんの体を気遣っての事でもある。
明けて2日も大した事も無く過ぎ、祖父さん祖母さんに関しては特に心配事も頭にくる事も起きずに済んだ。
とにかく、豊明を出るまでに実家のアブナい食料の大部分を処分したかったのがカミさんとしては本音だっただろうが、あまり派手にやると祖母さんが異常に気にするのは判っているので、程々にしておいた様である。
この夜は、ちゃんと客間で就寝出来たのだった。
翌朝は、早起きだった。そのまま荷物をまとめて、伊豆に出発したのである。
*
総じて、今回の豊明行きは、祖父さん祖母さんは気抜けするくらい大人しく、逆に、その場にいなかった義妹一家の生活振りが垣間見える帰省となった。
姉樽カミさんには、妹の手抜きっ振りが目立って見えたのではなかろうか。それともただ、妹との生活感覚の違いを再認識した、といったところだったろうか。
Posted by 壇那院 at 12:47│Comments(0)
│出掛ける