2010年02月28日
面接でタイムスリップ気分
6日は土曜であったが、面接の約束が入っていた。江東区内、荒川河畔にある、船舶用コンプレッサーや熱交換器のメーカーで、戦前からの老舗である。昨年12月に一次面接した特定派遣会社の、客先面談という形なのだ。
が……。
が……。
予めもらっていた面接資料(指示書)を最初に読んだ時に、もしやと感じた危惧が、現実になった。
約束の1000時の15分前には、客先本社前で待っていたのだが、派遣元になるはずのAJ社の担当者であるS氏はおろか、誰も来なかったのである。
小生1人での面接なのだ。AJ社に渡した物とは別に、履歴書を持参するよう指示されたが、それも道理である。組合潰しのために正社員を雇わず、新規従業員を総て外注(=派遣)化していると聞かされてはいたが、だから客先面談は実質採用面接であり、派遣会社の営業はお呼びでないのだ。事実上、人材紹介会社に転職紹介されて出て来たも同然だったのである。
着いてみると、思ったよりこの会社、東京メトロ南砂町駅から近い。小生宅からは国立又は立川から乗り換え1回で来れるので、80分程度である。
本社の目の前には、大きく荒川が流れている。
面接が終わったらちょっと河原を散歩してみようと思ったが、先ずは面接だ。
工場に併設の本社は、昭和40年代の工場街の匂いをふんぷんとさせている断熱波板張りの軽量鉄骨造りの建物で、受付の警備員も、警備会社から派遣されていると云うより、この会社の嘱託職員なのではと思わせる、えらくフレンドリーで腰が低い初老の男であった。しかもその日の訪問者の予定を全部知っているらしく、小生の来訪を瞬時に察し、訪問先を告げる前に、取次ぎの手続きを始めてしまい、しかも2階の会議室まで案内してくれる始末。エアコンなんぞの調整までしてくれたが、お~い、そうしてる今、受付ブースはあんたが席を外していて空なんじゃないのかい?
現状で自分も警備員をやっているためもあるのだが、この事だけでも呑気な企業風土が伝わって来る。本当に何十年も組合と対決し続けて来た会社なのだろうか? 当然、そういった事情からすれば、この警備員氏もちゃんと外注(警備会社の人間)のはずなのだが…。
通された会議室というのがまた、昭和40年代に舞い戻ったかと錯覚しそうな、波形擦りガラスをすすけたアルミサッシにはめ込んだ、元が何色だったのか判然としない飴色のパーテーションで囲んであり、一部サイズが無かったのか、今では無駄に高価なために見掛けなくなった、ラワン材の板で隙間を塞いである。エアコン室内機も、壁に留めているのは今風の金具ではなく、飴色に焼けたラワンのベース板である。
この会議室自体が、もう30年以上、エアコン以外に手を加えていないのではないかと思わせる古物だ。
廃業した親父の会社(25年前の記憶である)の事務所を思い出させる、懐かしい風景であったが、逆に考えれば「格好はどうでもよろしい。使えればどんなに古くても使う」 というポリシーを感じさせる会議室であった。
つまりその「もの」が「者」であったとしても、小生の様なロートル技術者使い道があると考えてもらえる可能性が高いという事にもなる。(ちなみに、50と云えば、もう現役設計者としては一般的にはとっくに引退だ。派遣の世界では45才定年説がまことしやかに囁かれているくらいである)
待つこと2、3分。1人の老人登場。総務部長氏だとのこと。取締役なのだろう。とっくに60才は過ぎているものと見える。まァ、面接指示書には、定年はあって無きがごときものと書いてあったが、これって、組合員社員が自然減でいなくなるのを待つという、組合潰しの戦略と矛盾しないか?
たぶん組合と会社がもめ始める以前からのルールなのだろうが、なんとも呑気なハナシではある。
さて総務部長氏のハナシだ。
訊かれるのは、渡した履歴書の内容について、いちいち説明を求めるような質問ばかりだし、滅多やたらと履歴書に書き込んでいる。別に無礼な訳ではないが、今時珍しい態度ではある。これもかなり昔風で、ドキュメントとして整理された形で採用資料(面接資料)を残そうとは思っていない人間のやり方である。つまりこの総務部長氏、自分の今の仕事をまだまだ続けるつもりで、なおかつ後任者には口伝で、時間をかけて引き継ぐつもり(――というより他の方法を知らない)なのだと理解出来る。
たぶん事実そうなのだろう。
最後の組合員社員が定年退職するまで、あと10年程だそうだから、それで組合が自然消滅してから、中途で幹部候補を何人か正規採用し、次期部長を選んで次長あたりに抜擢するまでには、少なくとも12年はあるはずなのだ。それ以前(組合存続中)に正規採用すれば、組合との協定で、新入社員は自動的に組合(それも共産党系だそうだ)に加入してしまうのである。
12年か。
気の長いハナシと云うより、ほぼ賭けだ。
どう考えても、その時にはこの部長氏は70を遙かに過ぎ、80に達しようかという老人になっているのである。
総務というのは確かに、最もその会社のカラーが色濃く出る職種なので、生え抜きとは云わないが、外からいきなり人材を移入し難い役どころだろう。数年は会社に馴染んでから高位の役職に就かせたいと思うのが、引き継ぐ側の本音だろうと思う。だが、すでに65にはなっている老部長に、そう考えさせる会社体制というのは、いかがなものだろうか。
膨大な量になるはずの細かい総務手続きを、整理体系化した形のドキュメントにせず、メモ書きの山の形で引き継がれたとしたら、小生だったら逃げ出したくなるなるだろう。
大丈夫かこの会社……。
一抹の不安が胸をよぎるが、まァそれでも数年は働けるだろうし、運が良ければ60までの10年間は会社は保つだろう。他の取締役連中が、もう少し若くて元気なら、もっと期待は持てる、と考えても良い。
そう思い直して、次に現われるであろう社長と技術部門長を待つ事にした。
とは云え、目の前にいるのは、元気そうだが頭は完全に固まってしまっていると考えざるを得ない質問や感想をぶつけて来る、この総務部長氏である。
50才にもなる初老の技術者に、それも中途採用同然の待遇とは云え外注に、「大学を中退したのはもったいなかった」 と、わざわざ中退した理由を説明させておいて言い出すのは、技術者という人種の学歴に対する感じ方を全く判っていないという事になるし、少々失礼だ。小生は中退した事を今でも後悔していないが、こういう言葉を聞かされると悲しくなる。
確かに小生は27年前に大学を中退したし、片手で数えられない様な数の転職をして来たが、今さらそれがどうだというのか。中退した大学での専攻は土木工学で、今彼の目の前にいるのは機械技術者なのだ。面接までしようとした相手の、27年も前の異分野の経歴を持ち出しておいて「もったいない」とはどういう料簡なのだろう。機械技術者はいらないのか?
真面目に、丁寧に答えるよう努めたが、内心、早く次の面接者に替わって欲しい気分で一杯だった。
そしてやっと面接者交替。
社長は60代初め、技術課長氏は40代後半といったところか。
ここから先は職務経歴書の内容と、この会社の製品に関して必要な技術についてのハナシだった。あまり大きくハッタリは掛けたくないので、出来ないとは云わないが、経験が無い分野はそう言う。
またもや総務部長氏の「もったいない」発言が飛び出したりしたし、社長が軽くでもそのハナシに乗ってしまったりしているあたり、向こうはあまり乗り気ではないのか?
どうにか訊きたい事は全部訊いたのだろう。45分で面接は終ったが、今までで最も疲れる面接であった。とにかくこの会社の経営陣、色々な意味で喰えない連中だ。
例の警備員氏見送られて大通りに出て、数10メートルで荒川に架かる橋のたもとだ。土手のコンクリートを登れば、河原が見える。
振り返ると、今までいた工場の屋根越しに、建設中のスカイツリーが遠望出来た。

河原に降りて芦原の向こうを透かし見ると、おお、屋形船が係留してあるな。

200メートル程川上側にゆっくり歩くと、橋の下をくぐって公園事務所(?)で、幸い公衆便所がある。少々面接中からもよおしていたのだが、緊張が解けて来たらしく、我慢が必要になってきていた。歳のせいかどうにも近くなっているのだ。
用も済んで川面を眺めるが、葛西橋を眺めていた方が時間としては長かったのではないか。技術馬鹿というのは仕様が無いものだ。

さて帰るか。
本当に、20分程度の散歩だった。こういう所には誰かと2人で来たいものだ。
思い着くのは家族くらいだが、モエ長男が相手だったら景色なんぞそっちのけなんだろうな…。
で、あれから20日以上が経ったのだが、現時点で、まだ返事は来ていない。
どうもかなり迷っているそうだ。
約束の1000時の15分前には、客先本社前で待っていたのだが、派遣元になるはずのAJ社の担当者であるS氏はおろか、誰も来なかったのである。
小生1人での面接なのだ。AJ社に渡した物とは別に、履歴書を持参するよう指示されたが、それも道理である。組合潰しのために正社員を雇わず、新規従業員を総て外注(=派遣)化していると聞かされてはいたが、だから客先面談は実質採用面接であり、派遣会社の営業はお呼びでないのだ。事実上、人材紹介会社に転職紹介されて出て来たも同然だったのである。
着いてみると、思ったよりこの会社、東京メトロ南砂町駅から近い。小生宅からは国立又は立川から乗り換え1回で来れるので、80分程度である。
本社の目の前には、大きく荒川が流れている。
面接が終わったらちょっと河原を散歩してみようと思ったが、先ずは面接だ。
工場に併設の本社は、昭和40年代の工場街の匂いをふんぷんとさせている断熱波板張りの軽量鉄骨造りの建物で、受付の警備員も、警備会社から派遣されていると云うより、この会社の嘱託職員なのではと思わせる、えらくフレンドリーで腰が低い初老の男であった。しかもその日の訪問者の予定を全部知っているらしく、小生の来訪を瞬時に察し、訪問先を告げる前に、取次ぎの手続きを始めてしまい、しかも2階の会議室まで案内してくれる始末。エアコンなんぞの調整までしてくれたが、お~い、そうしてる今、受付ブースはあんたが席を外していて空なんじゃないのかい?
現状で自分も警備員をやっているためもあるのだが、この事だけでも呑気な企業風土が伝わって来る。本当に何十年も組合と対決し続けて来た会社なのだろうか? 当然、そういった事情からすれば、この警備員氏もちゃんと外注(警備会社の人間)のはずなのだが…。
通された会議室というのがまた、昭和40年代に舞い戻ったかと錯覚しそうな、波形擦りガラスをすすけたアルミサッシにはめ込んだ、元が何色だったのか判然としない飴色のパーテーションで囲んであり、一部サイズが無かったのか、今では無駄に高価なために見掛けなくなった、ラワン材の板で隙間を塞いである。エアコン室内機も、壁に留めているのは今風の金具ではなく、飴色に焼けたラワンのベース板である。
この会議室自体が、もう30年以上、エアコン以外に手を加えていないのではないかと思わせる古物だ。
廃業した親父の会社(25年前の記憶である)の事務所を思い出させる、懐かしい風景であったが、逆に考えれば「格好はどうでもよろしい。使えればどんなに古くても使う」 というポリシーを感じさせる会議室であった。
つまりその「もの」が「者」であったとしても、小生の様なロートル技術者使い道があると考えてもらえる可能性が高いという事にもなる。(ちなみに、50と云えば、もう現役設計者としては一般的にはとっくに引退だ。派遣の世界では45才定年説がまことしやかに囁かれているくらいである)
待つこと2、3分。1人の老人登場。総務部長氏だとのこと。取締役なのだろう。とっくに60才は過ぎているものと見える。まァ、面接指示書には、定年はあって無きがごときものと書いてあったが、これって、組合員社員が自然減でいなくなるのを待つという、組合潰しの戦略と矛盾しないか?
たぶん組合と会社がもめ始める以前からのルールなのだろうが、なんとも呑気なハナシではある。
さて総務部長氏のハナシだ。
訊かれるのは、渡した履歴書の内容について、いちいち説明を求めるような質問ばかりだし、滅多やたらと履歴書に書き込んでいる。別に無礼な訳ではないが、今時珍しい態度ではある。これもかなり昔風で、ドキュメントとして整理された形で採用資料(面接資料)を残そうとは思っていない人間のやり方である。つまりこの総務部長氏、自分の今の仕事をまだまだ続けるつもりで、なおかつ後任者には口伝で、時間をかけて引き継ぐつもり(――というより他の方法を知らない)なのだと理解出来る。
たぶん事実そうなのだろう。
最後の組合員社員が定年退職するまで、あと10年程だそうだから、それで組合が自然消滅してから、中途で幹部候補を何人か正規採用し、次期部長を選んで次長あたりに抜擢するまでには、少なくとも12年はあるはずなのだ。それ以前(組合存続中)に正規採用すれば、組合との協定で、新入社員は自動的に組合(それも共産党系だそうだ)に加入してしまうのである。
12年か。
気の長いハナシと云うより、ほぼ賭けだ。
どう考えても、その時にはこの部長氏は70を遙かに過ぎ、80に達しようかという老人になっているのである。
総務というのは確かに、最もその会社のカラーが色濃く出る職種なので、生え抜きとは云わないが、外からいきなり人材を移入し難い役どころだろう。数年は会社に馴染んでから高位の役職に就かせたいと思うのが、引き継ぐ側の本音だろうと思う。だが、すでに65にはなっている老部長に、そう考えさせる会社体制というのは、いかがなものだろうか。
膨大な量になるはずの細かい総務手続きを、整理体系化した形のドキュメントにせず、メモ書きの山の形で引き継がれたとしたら、小生だったら逃げ出したくなるなるだろう。
大丈夫かこの会社……。
一抹の不安が胸をよぎるが、まァそれでも数年は働けるだろうし、運が良ければ60までの10年間は会社は保つだろう。他の取締役連中が、もう少し若くて元気なら、もっと期待は持てる、と考えても良い。
そう思い直して、次に現われるであろう社長と技術部門長を待つ事にした。
とは云え、目の前にいるのは、元気そうだが頭は完全に固まってしまっていると考えざるを得ない質問や感想をぶつけて来る、この総務部長氏である。
50才にもなる初老の技術者に、それも中途採用同然の待遇とは云え外注に、「大学を中退したのはもったいなかった」 と、わざわざ中退した理由を説明させておいて言い出すのは、技術者という人種の学歴に対する感じ方を全く判っていないという事になるし、少々失礼だ。小生は中退した事を今でも後悔していないが、こういう言葉を聞かされると悲しくなる。
確かに小生は27年前に大学を中退したし、片手で数えられない様な数の転職をして来たが、今さらそれがどうだというのか。中退した大学での専攻は土木工学で、今彼の目の前にいるのは機械技術者なのだ。面接までしようとした相手の、27年も前の異分野の経歴を持ち出しておいて「もったいない」とはどういう料簡なのだろう。機械技術者はいらないのか?
真面目に、丁寧に答えるよう努めたが、内心、早く次の面接者に替わって欲しい気分で一杯だった。
そしてやっと面接者交替。
社長は60代初め、技術課長氏は40代後半といったところか。
ここから先は職務経歴書の内容と、この会社の製品に関して必要な技術についてのハナシだった。あまり大きくハッタリは掛けたくないので、出来ないとは云わないが、経験が無い分野はそう言う。
またもや総務部長氏の「もったいない」発言が飛び出したりしたし、社長が軽くでもそのハナシに乗ってしまったりしているあたり、向こうはあまり乗り気ではないのか?
どうにか訊きたい事は全部訊いたのだろう。45分で面接は終ったが、今までで最も疲れる面接であった。とにかくこの会社の経営陣、色々な意味で喰えない連中だ。
例の警備員氏見送られて大通りに出て、数10メートルで荒川に架かる橋のたもとだ。土手のコンクリートを登れば、河原が見える。
振り返ると、今までいた工場の屋根越しに、建設中のスカイツリーが遠望出来た。
河原に降りて芦原の向こうを透かし見ると、おお、屋形船が係留してあるな。
200メートル程川上側にゆっくり歩くと、橋の下をくぐって公園事務所(?)で、幸い公衆便所がある。少々面接中からもよおしていたのだが、緊張が解けて来たらしく、我慢が必要になってきていた。歳のせいかどうにも近くなっているのだ。
用も済んで川面を眺めるが、葛西橋を眺めていた方が時間としては長かったのではないか。技術馬鹿というのは仕様が無いものだ。
さて帰るか。
本当に、20分程度の散歩だった。こういう所には誰かと2人で来たいものだ。
思い着くのは家族くらいだが、モエ長男が相手だったら景色なんぞそっちのけなんだろうな…。
で、あれから20日以上が経ったのだが、現時点で、まだ返事は来ていない。
どうもかなり迷っているそうだ。
Posted by 壇那院 at 23:58│Comments(0)
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