2012年12月31日
激動
あと30分あまりで2012年が終わる。
じつに、53年間の我が人生の中でも、五指に入るような、激しい変化を経験した1年だった。
じつに、53年間の我が人生の中でも、五指に入るような、激しい変化を経験した1年だった。
元旦を迎えた1年前には、2011年と同じく、ルートドライヴァーとしての仕事を、さらに1年間続けるものと、思っていた。
2月に入ってすぐ、今の会社への転職が決まった。
4月には、早くも熊本、中国と出張し、その後も技術部門の長として、客先に出掛け続け、この9箇月間で10回を下らない出張を繰り返している。
小さな会社の技術部門長の仕事としては、想像以上に出掛けていたように思う。
年末の支度も、結婚して以来無かったくらいに、家事をしていない。仕事が忙しすぎる。
そして、末っ娘は中学生となった。
夏には胆石で入院もした。
今も、胆石は腹の中にあるらしい。
そして、カミさんの父親・お子ちゃま祖父さんは、福島の誰にも負けないくらいの被曝量に耐え抜き、今、とにかく元気に生きている。
やっと心静かに年の瀬を迎える気分になれたのは、昨日のことであった。
さて、この1年間、エントリの数はやたらと少なかったが、その分、忙殺された実生活であったが、それでもここの事を忘れた訳ではない。
なぜなら、ここで小生が語るlogには、やはり小生の人生の一部があると思うからである。
そしてここに顔を出してくれる常連さん達は、忘れる訳には行かない人達だからだ。
皆、ほとんど会ったことの無い仲ながら、小生にとっては替えがたい友である。
2012年が終わる。
皆の衆、良いお年を。
2月に入ってすぐ、今の会社への転職が決まった。
4月には、早くも熊本、中国と出張し、その後も技術部門の長として、客先に出掛け続け、この9箇月間で10回を下らない出張を繰り返している。
小さな会社の技術部門長の仕事としては、想像以上に出掛けていたように思う。
年末の支度も、結婚して以来無かったくらいに、家事をしていない。仕事が忙しすぎる。
そして、末っ娘は中学生となった。
夏には胆石で入院もした。
今も、胆石は腹の中にあるらしい。
そして、カミさんの父親・お子ちゃま祖父さんは、福島の誰にも負けないくらいの被曝量に耐え抜き、今、とにかく元気に生きている。
やっと心静かに年の瀬を迎える気分になれたのは、昨日のことであった。
さて、この1年間、エントリの数はやたらと少なかったが、その分、忙殺された実生活であったが、それでもここの事を忘れた訳ではない。
なぜなら、ここで小生が語るlogには、やはり小生の人生の一部があると思うからである。
そしてここに顔を出してくれる常連さん達は、忘れる訳には行かない人達だからだ。
皆、ほとんど会ったことの無い仲ながら、小生にとっては替えがたい友である。
2012年が終わる。
皆の衆、良いお年を。
Posted by 壇那院 at 23:46│Comments(0)
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