2010年12月26日
羽村堰に昼寝に
夏も終わりに近かった9月20日は、敬老の日。
……なのだが、別に伊豆の親父のところに行ったりはしていない。
羽村堰の河原にバーベキューに出掛けたのである。
前日、立川基地からの帰りに、突如カミさんが言い出したのだ。
「羽村に昼寝に行こう」

つまりバーベキュー(=デイキャンプ)に行こうという訳なのだ。
……なのだが、別に伊豆の親父のところに行ったりはしていない。
羽村堰の河原にバーベキューに出掛けたのである。
前日、立川基地からの帰りに、突如カミさんが言い出したのだ。
「羽村に昼寝に行こう」

つまりバーベキュー(=デイキャンプ)に行こうという訳なのだ。
久し振りである。
是非行こうとなった。
で、前日の内に準備開始。バーベキューの材料を買い出しに行き、借りている倉庫に行ってアウトドアの道具の内、デイキャンプ用の道具箱を取って来る。
当然、それらの道具類と昼寝の道具は、前日からドミンゴの車内に積みっ放しにする。
翌朝、それ程早起きしたわけでもなかったが、0900時には荷物をルーフデッキに上げて固縛する作業に掛かっていた。
途中でモエ長男が起きて来て手伝ってくれるのを期待していたのだが、それはちょっと無謀だったようだ。荷物の固縛が終って家に上がった段階で、やっと起床して来たのだから。
4人全員が仕度を終えて、のっそり車中の人々となったのは、それでも10時すぎといったところであった。
羽村堰近くの、いつもの河原に降りると、この時期だと言うのに人影まばらで、しかも晩夏ともなれば河原で最も平坦な場所なので、人に踏み広げられて、良い具合になっているのが普通の広場がが、まだ鬱蒼と草に囲まれている。通常の年の半分程度の広さにしかなっていない。
しかも、もう11時だというのに人がいないのだ。おいおい、今日は祝日じゃなかったっけ?
まァ良い。天気は薄曇りで、まだ暑いこの時期としては絶好の昼寝日和だ。早速サイトをひろげる事にした。他にバーベキュー客がいないのなら、ほぼ独占状態で、キャンプサイトは広げ放題だ。
古い焚き火跡を見付け、一斗袋一杯の薪(5年程前にキャンプ先で他のキャンパーにもらった、建築廃材ばかりの物である)で直火の焚き火も始めた。秋キャンプの時など、夜に暖をとるのにいいだろうと、倉庫に入れていた物なのだが、意外に使わなくて、持て余していた物を、ここで一気に使い切ってしまおうという魂胆である。
焚き火に廃材薪をくべるモエ長男。
カミさん自慢のガス・ツーバーナー。イワタニCB8000s。今では廃番なのだが、普通のカセットガスが使え、下面がフラットなので、今でもオークションでは高値を呼んでいる人気機種である。
ここに写っているのは、総てコールマン製。テーブル上の炭火バーベキュー・コンロは、カミさんがハム買って当てた物だ。
肉も野菜もこういう所で喰うと美味い。
喰ったら後は、日暮れまで昼寝だ。3人で6脚もキャンプ・チェアを持ち込んでいるし、コット(簡易寝台)も1台だがあるので、ゆったり出来る。ただ、前の週の台風のせいで、多摩川のこのあたりの渓相が全く変わってしまっている。前年まではこのフラットから川縁まで、100メートル程度あったのだが、今年はフラットの端まで川面が迫っている。川縁の傾斜も急だ。末っ娘の散歩にはかなり不便になってしまっていた。

が、さすがは我が娘、長兄のモエが教えたのか、川縁に降りて足場を固め、水切りを投げて楽しそうだ。
これなら安心。小生もコットで寝るカミさんの横で、リクライニングチェアに沈み込んでいた。

コンロの熾き火はまだ消えてはいない。時々目覚めると、コーヒーを淹れて飲み、ちょっと焦げくさい肉や野菜をつまむ。
そんなこんなで、16時になっていた。
どこかで模型用特有の高回転エンジンの排気音がすると思ったら、200メートルくらい川上で、ラジコン・ヘリを飛ばしていた。

そのエンジン音を背に聞きながら、サイト撤収。
薄暗くなっている川面を眺めやり、我々は河原を後にしたのだった。
是非行こうとなった。
で、前日の内に準備開始。バーベキューの材料を買い出しに行き、借りている倉庫に行ってアウトドアの道具の内、デイキャンプ用の道具箱を取って来る。
当然、それらの道具類と昼寝の道具は、前日からドミンゴの車内に積みっ放しにする。
翌朝、それ程早起きしたわけでもなかったが、0900時には荷物をルーフデッキに上げて固縛する作業に掛かっていた。
途中でモエ長男が起きて来て手伝ってくれるのを期待していたのだが、それはちょっと無謀だったようだ。荷物の固縛が終って家に上がった段階で、やっと起床して来たのだから。
4人全員が仕度を終えて、のっそり車中の人々となったのは、それでも10時すぎといったところであった。
羽村堰近くの、いつもの河原に降りると、この時期だと言うのに人影まばらで、しかも晩夏ともなれば河原で最も平坦な場所なので、人に踏み広げられて、良い具合になっているのが普通の広場がが、まだ鬱蒼と草に囲まれている。通常の年の半分程度の広さにしかなっていない。
しかも、もう11時だというのに人がいないのだ。おいおい、今日は祝日じゃなかったっけ?
まァ良い。天気は薄曇りで、まだ暑いこの時期としては絶好の昼寝日和だ。早速サイトをひろげる事にした。他にバーベキュー客がいないのなら、ほぼ独占状態で、キャンプサイトは広げ放題だ。
古い焚き火跡を見付け、一斗袋一杯の薪(5年程前にキャンプ先で他のキャンパーにもらった、建築廃材ばかりの物である)で直火の焚き火も始めた。秋キャンプの時など、夜に暖をとるのにいいだろうと、倉庫に入れていた物なのだが、意外に使わなくて、持て余していた物を、ここで一気に使い切ってしまおうという魂胆である。
焚き火に廃材薪をくべるモエ長男。

カミさん自慢のガス・ツーバーナー。イワタニCB8000s。今では廃番なのだが、普通のカセットガスが使え、下面がフラットなので、今でもオークションでは高値を呼んでいる人気機種である。
ここに写っているのは、総てコールマン製。テーブル上の炭火バーベキュー・コンロは、カミさんがハム買って当てた物だ。

肉も野菜もこういう所で喰うと美味い。
喰ったら後は、日暮れまで昼寝だ。3人で6脚もキャンプ・チェアを持ち込んでいるし、コット(簡易寝台)も1台だがあるので、ゆったり出来る。ただ、前の週の台風のせいで、多摩川のこのあたりの渓相が全く変わってしまっている。前年まではこのフラットから川縁まで、100メートル程度あったのだが、今年はフラットの端まで川面が迫っている。川縁の傾斜も急だ。末っ娘の散歩にはかなり不便になってしまっていた。

が、さすがは我が娘、長兄のモエが教えたのか、川縁に降りて足場を固め、水切りを投げて楽しそうだ。
これなら安心。小生もコットで寝るカミさんの横で、リクライニングチェアに沈み込んでいた。

コンロの熾き火はまだ消えてはいない。時々目覚めると、コーヒーを淹れて飲み、ちょっと焦げくさい肉や野菜をつまむ。
そんなこんなで、16時になっていた。
どこかで模型用特有の高回転エンジンの排気音がすると思ったら、200メートルくらい川上で、ラジコン・ヘリを飛ばしていた。

そのエンジン音を背に聞きながら、サイト撤収。
薄暗くなっている川面を眺めやり、我々は河原を後にしたのだった。
Posted by 壇那院 at 22:59│Comments(0)
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