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2012年09月20日

壇那院、入院す1

なにも53年生きて来て、病院に泊まることになるのが初めてな訳ではない。
このblogを始めてからでも、1度、左手手術の時に1泊しているのだが、今回はちょっと、毛色が違うところがあったのだ。
 
初めて、旅先で倒れたのだ。たとえ仕事の出張でも、多少の余録はあるものだし、何より場所が変わる気分転換の心理的効果は大きい。それを知っている者が、当の出張中にそれ以前からの体調不良がぶり返して倒れるとは、いかにも奇妙で、今回の体調不良が純粋に物理的なもので、心理的作用の変化で全般的症状が好転出来なくなる程、物理的症状が悪化していた、という事を示している。

つまり、出張というのは大抵が、お楽しみ要素があるものなのだという事である。そして今回は、それでも気分的要素(偽薬効果=プラセボ効果という)が体調の悪さをカバーし切れなかったという訳なのだ。
通常の過労ではあるまいと、実際、3回目の熊本出張の最中に腹痛を起こした時、思った。

徴候はそれ以前からあったのだ。
この出張に出たのは、6月28日だったのだが、その2週間程前から、どうも便秘気味だし、腹の膨満感がひどい。
25日頃には、会社の廊下で、刺し込む様な腹痛で、うずくまる破目になる事態もあったのだ。
だが、前回この様な腹痛に襲われた時と、ちょっと様子が違った事に、夫婦そろって気付かなかったのは、誤算であった。カミさんもまた、前の腹痛と同じく大腸絡みの腹痛と勘違いしていたので、腹の中を空にすれば治る、一過性のウィルス性大腸炎と思い込んでいたのである。

今回の熊本行きは、前2回とちょっと違っていた。
午前中から久留米市内の客先提携工場で製品デバッグの立ち合いで、前泊だったのだ。
6月28日午後、新幹線で久留米まで、東海道・山陽・九州と乗り継いだ。
飛行機で博多(福岡空港)に飛んでも、結局最終アプローチは博多から九州新幹線になるのだし、川口から羽田までに移動時間と、東京駅までの移動時間、空港での搭乗手続きや手荷物検査の時間等から、時間的にも同じこと(新幹線は飛び乗り出来るが、飛行機は30分前にはチケットカウンターに到着している必要がある)だし、金額的には安くつくし、何より新幹線内は無線LAN環境があるので、ネットを繋げたまま移動出来るからだ。
実際、会社からのメール連絡はひっきりなしだった。

久留米駅に降り立ったのは、22時を過ぎた時間帯であった。
予約しておいたホテルは駅前で、久留米駅は新幹線が留まる駅とは思えない、シンプルな駅だったので、ホテルはすぐ見つかった。すぐチェックインし、部屋に荷物を置くと、外に出る。
ホテルの横の小さなレストランが、まだやっていた。
軽く夜食を喰い、ビール(店長がえらく慎重な注ぎ方をしてくれた、美味いギネスだった)を1杯、やる。
この晩までは、前兆はあっても、まだ耐えられる症状だったのだ。胃から鳩尾あたりまでの膨満感を除けば。

翌朝、ホテルの朝食をちゃんと喰ったのだが、あまり食欲が湧かない。
ロビーで専務と落ち合い、客先の組立担当者のH氏と合流して、久留米市内のCという会社の工場に向かった。
このC社工場に着いて空調が効いたセミクリーンルームの中に入ったあたりから、腹痛がぶり返して来た。
立ち合い(当社の大型製品が仮組立の最中だったのだ)と1次打ち合わせを済ませ、熊本に向かう車に乗り込むまでは、どうにか耐えていられたが、九州高速に乗ったあたりから。もういけない。途中のPAに寄ってもらって、トイレに入った途端に、吐いた。
口も利けない程の激痛の中、トイレから這い出したところを、同行の専務とH氏が見付けてくれた。

救急車をその場で呼ぶか、それとも目的地の熊本までこのままH氏の社用車で急ぎ、そこでH氏の会社の提携病院(総合病院だそうだ)にかつぎ込んでもらうか、の選択になった。
全く土地勘が無く、知り合いもいない土地で、下手をすればこのまま入院である。
さすがにそれだけは勘弁だ。
小生はやっとのことで意志表示し、熊本までこのまま向かってもらうようにH氏に頼んだのだった。
H氏の会社の提携病院で診てもらい、もし入院するのならそこで入院すれば、入院中も少なくともこのお客さんとの交信は密に出来る。幸い、今回はノートPCをカミさんから借りて来ていて、しかも会社のメールボックスにアクセス出来るようにしてある。
そんな事も、痛む腹をかかえながら、考えていた。

熊本県内のその病院の名前は、後になって診察券を見て知った……と云うより認識した。
とにかく、小1時間後、辿り着いた時は、もう唸り声をあげるだけの、ほぼ人間やめてます状態だったのだから。
診察台の上で唸り声とも吠え声ともつかぬ声をあげて、のたうち回る破目になってしまった。52年と11箇月と29日生きて来て、初めての経験だった。
とにかく、診察台に這い上がった小生に、医師が先ずした事は、診察出来る状態まで小生を大人しくさせるために、痛み止めの注射をする事だったのである。

とにかく、大人しく出来なければ、採血も出来ないのだから、こっちもそれだけの事を実行するのにも必死だ。

採血・超音波検査・CTスキャンと、次々に検査する。とにかく造影剤を注射したのかどうかも、記憶していないが、したのだろう。
検査が一通り終われば、今度は応急処置である。胃の膨満感も痛みを増強している原因だろうと、胃洗浄を始める。チューブを鼻から入れ、胃の内容物を吸い出すのである。
まさに「鼻から牛乳」の気分であった。なにしろ、胃カメラ用の喉頭拡張剤も飲まずに挿入されたのだ。

で、やっと痛み止めも効き、前夜からの吸収阻害(胃の内容物が腸に降りなかったのだ)で飲んだ水分の半分も吸収出来ていなかった脱水症状改善の点滴も効いてきて、やっと落ち着いた頃、診断の説明があった。
つまり小生は、胆石があるのだそうだ。石本体の存在は確認出来なかったが、胆管の奥、肝臓の中で、胆管の膨張が確認されたのだそうである。CTの画像も見せてくれた。
病名としては普通に「胆嚢炎及び胆管炎」なのだが、厄介な所で胆管が目詰まりしているのだという。
通常、胆石というのは、初め胆嚢の中で形成され、それが胆嚢から胆汁と共に流れ出て、胆管の出口付近(十二指腸への流出口付近)で引っ掛かるのだが、今回の小生のケースは、いきなり胆管の中で形成されたパターンとしか思えないのだそうで、胆嚢より上流部の胆管内で引っ掛かっているのだそうな。
なにしろ肝臓の中である。最近では普通になった、十二指腸まで挿入した胃カメラから、極細のマニピュレータを胆管内に遡上挿入して胆石を破砕・除去する内視鏡手術は、コノケースの場合、石の位置が奥すぎて難しいし、デリケートな胆管や膵管を傷つけて感染症を併発するリスクが高いのだそうである。
大掛かりな開腹手術の場合は、当然ながら患部に到達するには肝臓の一部も切開しなければならない。再生力の高い肝臓相手なので、そのまま患部ごと肝臓を部分切除する場合も多いという。
たかが胆石にしてはおおごとなのだそうなのだ。

ただちに命にかかわる訳ではないが、結構大仰な病気になってしまった事が、発覚したのであった。

(続く)

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Posted by 壇那院 at 01:10│Comments(5)日々是好日
この記事へのコメント
檀那院さま
大丈夫ですか?
とにかく続きを待っています。
Posted by kemmi at 2012年09月20日 05:06
出先で、胆石で、手術ですか?
えらいことになりましたね。
これは、現在進行形ではないですよね?

もう9月だから顛末ということで、安心して読めるのですよね。
Posted by manbow at 2012年09月20日 08:45
!!!
Posted by みほ@〇〇だより at 2012年09月20日 09:05
ありゃりゃ大変だったんですねぇ‥。
もう全快されましたか??
Posted by ももっち at 2012年10月09日 17:27
皆の衆
またもレスがえらく遅れてしまいました。勘弁して下さい。

kemmiさん
大丈夫かどうかも、現在に至るも微妙です。
なんせ、胆石取りませんでしたから。

まんぼうさん
残念ながら、半分現在進行です。次のエントリで書きましたが、胆石、取りませんでした。やはり、厄介なところに目詰まりしているかららしいです。
安心するのは、もしかしたら次の発作の時かも知れません。

みほさん
だ~~いぢゃうぶ!……でもねぇかなぁ…。

ももっちさん
今は全く元気ですが、つまり爆弾は埋まったままです。(妙笑)
Posted by 壇那院壇那院 at 2012年10月14日 23:33
 
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壇那院、入院す1
    コメント(5)