2011年01月21日
年末から正月(2010-2011)
29日から仕事は冬休みに入った。
年明け3日まで、冬休みである。
家族で最も厳しい冬休みなのは、モエ長男なのだが、奴は大晦日もバイトだ。
年明け3日まで、冬休みである。
家族で最も厳しい冬休みなのは、モエ長男なのだが、奴は大晦日もバイトだ。
基本、今のスーパーのバイトが、土日と水曜だけが休みで、そのスーパーが24時間年中無休だからである。
味馬鹿次男の休みは29日から4日までだが、基本、3日には岐阜に戻る予定でいると連絡して来ていた。家まで来れるのは30日になるとのこと。28日の仕事納めが一杯一杯の時間使うので、寮の大掃除は29日の午前中になりそうだというのだ。それから寮を飛び出しても立川まで帰って来るのは夜中になるのだ。カミさんが豊明の祖父さんのところに連絡して、29日は豊明で泊まるようにしたのだった。
カミさんは大学の冬休みに合わせて、休みに入るから、とっくに休みに入っている。小学生の末っ娘も同様だ。
我が家の年末年始は、30日から本格的に始まる事になったのである。
だから29日は比較的のんびりしていた。いつもの土日の感覚だった。
唯一違ったのは、最終のゴミ収集日が30日まであったので、大掃除が忙しかったことだ。
小生宅には、通称「ベビーサンダー」と称されている小型切断機があるので、粗大ごみの分解=不燃ごみの製造で、小生は結構な力仕事になるのである。11月にこれを格安で購入してから、折を見てやっていたのだが、我が国分寺市が粗大ごみを有料化して以来の数年間、粗大ごみチケット(=ステッカー)代をケチっていたせいで、かなりの量の粗大ごみが我が家にはあるのである。(主婦たるカミさんの名誉のために書き添えておくが、この方針を決定したのは小生である)
30日には、家にいた頃に味馬鹿次男が使っていた事務椅子を分解していて、肘掛のパイプを切断中に左手の人差指をちょっと切ってしまった。ベビーサンダーは、小型のグラインダーだから、「切る」と云うより「削る」と云った方が適切なので、結構大きな傷になってしまった。例の人工皮膚絆創膏をわざわざ買って来なければならなかったのである。
とにかく、翌日8時には、45リッターのごみ袋に、椅子1脚、VTRデッキ1台、スチールラック1脚を、他の不燃ごみと一緒に出す事が出来た。
で、その30日の朝8時、突然味馬鹿から電話が入ったのだ。
もう東京駅に着いたとのこと。
おいおい。東京行き始発の新幹線に乗ったのか? もうちょっとゆっくり豊明を出ると思ってたし、名古屋を出る時に連絡しろ言っておかなかったか?
この時点で東京駅なら、うまく中央線特別快速に乗れると、約40分で立川だ。PCを起動し、ダイヤ検索で見当をつけて立川駅前に向かう。
うまく味馬鹿を拾い、家に戻ってから臨戦態勢だ。前日からモエが部屋の大掃除をしていたのだが、味馬鹿のもともとの寝床は、まだスペースが完全には空いていない。モエがこの半年間で積み上げた、本の山が半分程度残っていたのである。
それを引き続きモエに任せ、小生とカミさんは追加の布団類を買いに出る。
こればかりは最早のんびり出来ない。今夜から必要になるのだ。GWの帰省時に買った布団は、今度の冬まえには完全にオシャカになったモエの寝具の一部となっている。最低、敷き布団の下に敷くマットレス1枚、掛け布団1枚、毛布1枚が必要だし、その他に末っ娘のせんべい布団の下にもマットレスを入れてやる計画だったし、毛布ももう1枚欲しい。今回の三多摩の冬は特に特に寒く、築15年を超えてコンクリートが「枯れて」いるこの建物は、去年あたりから乾燥がひどく、さらに寒さを感じるという仕掛けになっているのだ。
GWの時と同じ、昭島のカインズホームで、掛け布団1枚、マットレス2枚、毛布2枚を買い込んだ。
その晩、クリスマスに喰いそこなったケーキを5人で喰った。
これが不可思議な格好をしたケーキで、直径からすると4号(12cm)程度なのだが、高さが20cm位ある円錐形なのである。チョコレート・ケーキなのだが、どうやらクリスマス・ツリーを模しているらしい。これを5人前に切り分けるのが、一工夫であった。
美味かったが。
と……、ここまではてんてこ舞いの休みだったのだが、その後はゆる~い冬休みであったのだ。
年が明けて3日の最終日まで、5人共ひたすら喰っちゃ寝の生活だったような気がする。
結局、この期間に初詣にも行かなかったのだから。

モエ長男がクリスマス前に買い込んでいた各種輸入ビールの残り。冬休み中に皆でダラダラ飲んでいた。
4日、小生は初出勤。味馬鹿次男は岐阜に戻る。0530時には起床し、カミさん運転のドミンゴで立川駅に向かった。
「まぁ、しっかりやって来い」 とだけ言って、味馬鹿と駅で別れた。
味馬鹿次男は、残り1日の年末年始を岐阜の会社の寮で過ごすべく、戻って行ったのである。
だが、末っ娘とカミさんは、学校の冬休みに日程を支配されているので、まだまだ冬休みが続くのである。
味馬鹿次男の休みは29日から4日までだが、基本、3日には岐阜に戻る予定でいると連絡して来ていた。家まで来れるのは30日になるとのこと。28日の仕事納めが一杯一杯の時間使うので、寮の大掃除は29日の午前中になりそうだというのだ。それから寮を飛び出しても立川まで帰って来るのは夜中になるのだ。カミさんが豊明の祖父さんのところに連絡して、29日は豊明で泊まるようにしたのだった。
カミさんは大学の冬休みに合わせて、休みに入るから、とっくに休みに入っている。小学生の末っ娘も同様だ。
我が家の年末年始は、30日から本格的に始まる事になったのである。
だから29日は比較的のんびりしていた。いつもの土日の感覚だった。
唯一違ったのは、最終のゴミ収集日が30日まであったので、大掃除が忙しかったことだ。
小生宅には、通称「ベビーサンダー」と称されている小型切断機があるので、粗大ごみの分解=不燃ごみの製造で、小生は結構な力仕事になるのである。11月にこれを格安で購入してから、折を見てやっていたのだが、我が国分寺市が粗大ごみを有料化して以来の数年間、粗大ごみチケット(=ステッカー)代をケチっていたせいで、かなりの量の粗大ごみが我が家にはあるのである。(主婦たるカミさんの名誉のために書き添えておくが、この方針を決定したのは小生である)
30日には、家にいた頃に味馬鹿次男が使っていた事務椅子を分解していて、肘掛のパイプを切断中に左手の人差指をちょっと切ってしまった。ベビーサンダーは、小型のグラインダーだから、「切る」と云うより「削る」と云った方が適切なので、結構大きな傷になってしまった。例の人工皮膚絆創膏をわざわざ買って来なければならなかったのである。
とにかく、翌日8時には、45リッターのごみ袋に、椅子1脚、VTRデッキ1台、スチールラック1脚を、他の不燃ごみと一緒に出す事が出来た。
で、その30日の朝8時、突然味馬鹿から電話が入ったのだ。
もう東京駅に着いたとのこと。
おいおい。東京行き始発の新幹線に乗ったのか? もうちょっとゆっくり豊明を出ると思ってたし、名古屋を出る時に連絡しろ言っておかなかったか?
この時点で東京駅なら、うまく中央線特別快速に乗れると、約40分で立川だ。PCを起動し、ダイヤ検索で見当をつけて立川駅前に向かう。
うまく味馬鹿を拾い、家に戻ってから臨戦態勢だ。前日からモエが部屋の大掃除をしていたのだが、味馬鹿のもともとの寝床は、まだスペースが完全には空いていない。モエがこの半年間で積み上げた、本の山が半分程度残っていたのである。
それを引き続きモエに任せ、小生とカミさんは追加の布団類を買いに出る。
こればかりは最早のんびり出来ない。今夜から必要になるのだ。GWの帰省時に買った布団は、今度の冬まえには完全にオシャカになったモエの寝具の一部となっている。最低、敷き布団の下に敷くマットレス1枚、掛け布団1枚、毛布1枚が必要だし、その他に末っ娘のせんべい布団の下にもマットレスを入れてやる計画だったし、毛布ももう1枚欲しい。今回の三多摩の冬は特に特に寒く、築15年を超えてコンクリートが「枯れて」いるこの建物は、去年あたりから乾燥がひどく、さらに寒さを感じるという仕掛けになっているのだ。
GWの時と同じ、昭島のカインズホームで、掛け布団1枚、マットレス2枚、毛布2枚を買い込んだ。
その晩、クリスマスに喰いそこなったケーキを5人で喰った。
これが不可思議な格好をしたケーキで、直径からすると4号(12cm)程度なのだが、高さが20cm位ある円錐形なのである。チョコレート・ケーキなのだが、どうやらクリスマス・ツリーを模しているらしい。これを5人前に切り分けるのが、一工夫であった。
美味かったが。
と……、ここまではてんてこ舞いの休みだったのだが、その後はゆる~い冬休みであったのだ。
年が明けて3日の最終日まで、5人共ひたすら喰っちゃ寝の生活だったような気がする。
結局、この期間に初詣にも行かなかったのだから。

モエ長男がクリスマス前に買い込んでいた各種輸入ビールの残り。冬休み中に皆でダラダラ飲んでいた。
4日、小生は初出勤。味馬鹿次男は岐阜に戻る。0530時には起床し、カミさん運転のドミンゴで立川駅に向かった。
「まぁ、しっかりやって来い」 とだけ言って、味馬鹿と駅で別れた。
味馬鹿次男は、残り1日の年末年始を岐阜の会社の寮で過ごすべく、戻って行ったのである。
だが、末っ娘とカミさんは、学校の冬休みに日程を支配されているので、まだまだ冬休みが続くのである。
Posted by 壇那院 at 20:47│Comments(0)
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