2006年12月20日
居心地のいい場所
今年の1月まで、我が家にはうさぎがいた。
生涯のほとんどをケージに入れずに、家の中で放し飼いになっていたこの白いミニ(?)ウサギ、名を、ミルクと云う。
ある意味、我が家の主(ぬし)であった。
生涯のほとんどをケージに入れずに、家の中で放し飼いになっていたこの白いミニ(?)ウサギ、名を、ミルクと云う。
ある意味、我が家の主(ぬし)であった。
「その家で一番居心地が良い場所は、猫に訊け」 という言葉がある。
我が家においては、ミルクが最も良く居心地の良い場所を知っていたのだろう。
夏の昼間、ミルクが昼寝場所にしていたのは、直射日光が射し込まない居間の一番奥にあるPCデスクの下だった。下の棚板が鉄板だったので、ヒヤリとして気持ち良かったのだろう。
春・秋なら、小生達夫婦の寝室の押入れ箪笥の上が、適当に暗くて暖かかった様だ。
冬は窓に近い花台の陰や、長男の机の足許だった。
夜は空間的な保温が良いので、上記の4箇所の内、寝室の押入れとPCデスクの下を、冬・夏で使い分けていた様だが、当然、薄暮時を活動時間帯にしているうさぎであるから、あまりじっとしてはいなかったが。
真冬の夜、一度、やけに腹のあたりが重いので目を覚ましたら、ミルクが乗っていた事がある。
夜中に走り回っていて、寝ている顔を蹴られた事は数え切れない。
昼間、洗濯物が山になっていると、よくその上でヌクヌクしていたが、まぁ、すぐ追い立てられた。洗濯物は済みのモノがミルクの好みだったから、畳んで仕舞うまでの、取り込みの隙を突いて居座るのである。ベランダから次の干し上がった洗濯物を抱えて戻ると、目を細めて丸くなっていたものだ。
ミルク5才、末っ娘3才の頃から、娘がミルクの真似をし始め、洗濯物の上で昼寝するようになった。ただし、自分や親(小生とカミさん)が脱いだ洗濯前の物を山にして。
当時は共稼ぎで、保育園に預けていたから、昼間に娘がいるのは土日だった。その土日のたびに家の一角でうさぎと幼児が衣類の山を築いていた事になる。
7才を過ぎたあたりからだろうか、カミさんがPCに向かっていると、その足許に丸くなっている事が、冬でも多くなった。
今から考えると、それがミルクの晩年の始まりだったのだろう。
我が家においては、ミルクが最も良く居心地の良い場所を知っていたのだろう。
夏の昼間、ミルクが昼寝場所にしていたのは、直射日光が射し込まない居間の一番奥にあるPCデスクの下だった。下の棚板が鉄板だったので、ヒヤリとして気持ち良かったのだろう。
春・秋なら、小生達夫婦の寝室の押入れ箪笥の上が、適当に暗くて暖かかった様だ。
冬は窓に近い花台の陰や、長男の机の足許だった。
夜は空間的な保温が良いので、上記の4箇所の内、寝室の押入れとPCデスクの下を、冬・夏で使い分けていた様だが、当然、薄暮時を活動時間帯にしているうさぎであるから、あまりじっとしてはいなかったが。
真冬の夜、一度、やけに腹のあたりが重いので目を覚ましたら、ミルクが乗っていた事がある。
夜中に走り回っていて、寝ている顔を蹴られた事は数え切れない。
昼間、洗濯物が山になっていると、よくその上でヌクヌクしていたが、まぁ、すぐ追い立てられた。洗濯物は済みのモノがミルクの好みだったから、畳んで仕舞うまでの、取り込みの隙を突いて居座るのである。ベランダから次の干し上がった洗濯物を抱えて戻ると、目を細めて丸くなっていたものだ。
ミルク5才、末っ娘3才の頃から、娘がミルクの真似をし始め、洗濯物の上で昼寝するようになった。ただし、自分や親(小生とカミさん)が脱いだ洗濯前の物を山にして。
当時は共稼ぎで、保育園に預けていたから、昼間に娘がいるのは土日だった。その土日のたびに家の一角でうさぎと幼児が衣類の山を築いていた事になる。
7才を過ぎたあたりからだろうか、カミさんがPCに向かっていると、その足許に丸くなっている事が、冬でも多くなった。
今から考えると、それがミルクの晩年の始まりだったのだろう。
Posted by 壇那院 at 00:27│Comments(9)
│うさぎのミルク
この記事へのコメント
同じようなタイトルの話が、私のとこにもあるのでドキッとしました(笑)
動物は「好きな場所だから行く」、とはっきりしてますので、本当に
居心地がよかったのでしょうねぇ。
亡くなったときは、娘さん さぞ悲しんだんではないですか?
動物は「好きな場所だから行く」、とはっきりしてますので、本当に
居心地がよかったのでしょうねぇ。
亡くなったときは、娘さん さぞ悲しんだんではないですか?
Posted by manbow at 2006年12月20日 01:25
我が家のらびも洗濯衣類の中で隠れている事がありましたよぉ(^▽^)
その時にかぎってマーキングしてるし・・・
気が付くとその衣類一枚にかぎって同じ事をしていました。
おまえは犬か??と言いながら私とらびとで洗濯物置場の縄張り争いでした(笑)
今は私もらびの若い頃を思い出し(相方さんに聴いてもらい)ながら世話しています(^-^)
その時にかぎってマーキングしてるし・・・
気が付くとその衣類一枚にかぎって同じ事をしていました。
おまえは犬か??と言いながら私とらびとで洗濯物置場の縄張り争いでした(笑)
今は私もらびの若い頃を思い出し(相方さんに聴いてもらい)ながら世話しています(^-^)
Posted by 茶月@REDRABBIT at 2006年12月20日 18:28
コメントありがとさんです
まんぼうさん
そうでしたねぇ。そちらはマダムとの馴初めのハナシでしたっけ?(笑)
ミルクが死んだ時、末っ娘は全く実感が無かったようですよ。泣いてたのは上の子達でしたね。
1週間しても「ミルクいつ帰って来るの?」なんて訊いて、カミさんの涙を誘ってたらしいです。
生まれる前からいた家族でしたからねぇ…。
茶月さん
室内でペットを飼うと、洗濯物は必ずやられますね。幼児でも同じですけど。
まさかこっちもマーキングするわけには行かんですし、ミルクは下の問題は死ぬ直前1箇月くらいになるまで、ありませんでしたから、単に邪魔なだけでした。
家の中は、マーキングの必要が無いくらい完全に奴のフィールドという意識だったんでしょう。
まんぼうさん
そうでしたねぇ。そちらはマダムとの馴初めのハナシでしたっけ?(笑)
ミルクが死んだ時、末っ娘は全く実感が無かったようですよ。泣いてたのは上の子達でしたね。
1週間しても「ミルクいつ帰って来るの?」なんて訊いて、カミさんの涙を誘ってたらしいです。
生まれる前からいた家族でしたからねぇ…。
茶月さん
室内でペットを飼うと、洗濯物は必ずやられますね。幼児でも同じですけど。
まさかこっちもマーキングするわけには行かんですし、ミルクは下の問題は死ぬ直前1箇月くらいになるまで、ありませんでしたから、単に邪魔なだけでした。
家の中は、マーキングの必要が無いくらい完全に奴のフィールドという意識だったんでしょう。
Posted by 壇那院 at 2006年12月21日 00:14
なんだかいまだにすみっちょに白い毛玉がいそーな感じです。
洗濯物、取り込んだあとのポカポカ加減が好きだったんですねぇ
目を細めて・・・に、ちっと泪しました。
洗濯物、取り込んだあとのポカポカ加減が好きだったんですねぇ
目を細めて・・・に、ちっと泪しました。
Posted by きょろ at 2006年12月22日 01:33
きょろさん
実際、気配はまだ、時々感じますよ。
押入れ箪笥の陰とか、ね…。
実際、気配はまだ、時々感じますよ。
押入れ箪笥の陰とか、ね…。
Posted by 壇那院 at 2006年12月22日 22:54
長年いっしょに暮らしてるペットは家族同然ですよねえ。
壇那院さんも季節ごとに居心地の良い場所に腰掛けては
ミルクちゃんを思い出したりしてるんでしょうね。
壇那院さんも季節ごとに居心地の良い場所に腰掛けては
ミルクちゃんを思い出したりしてるんでしょうね。
Posted by Hide at 2006年12月22日 23:32
Hideさん
あいつの好きだった場所、まだ全部残してあるんですよ。トイレも。
年明けの一周忌までは、このままにしておく心算です。
あいつの好きだった場所、まだ全部残してあるんですよ。トイレも。
年明けの一周忌までは、このままにしておく心算です。
Posted by 壇那院 at 2006年12月23日 00:41
私、娘同様に可愛がっていたニャンコを車の事故で
亡くしました。もう3日くらい呆けていました。カミさんも
目を腫らしていました。あんな姿、35年間一度も
見たことありませんでした。親の死よりもショックでした。
ウサちゃんにコード噛み切られたことありません?
亡くしました。もう3日くらい呆けていました。カミさんも
目を腫らしていました。あんな姿、35年間一度も
見たことありませんでした。親の死よりもショックでした。
ウサちゃんにコード噛み切られたことありません?
Posted by スー at 2006年12月24日 23:30
スーさん
いらっしゃい。
実際、仰る通りでして、死んだ事を実感した後まで含めると、末っ娘は1箇月くらい引き摺ってましたし、うちのカミさんや小生は3箇月くらい。実際の影響は、ミルクが死んでから3箇月で小生が神経症を患った事も、因果関係は否定出来ない気がします。
コードは、感電しない信号系のケーブルは完全に切断された事がありますが、電源系のコードはビリッときた時点でやめるらしく、完全にやられた事は、低圧系のAC/DCコンバータの直流線以外ではありません。
詳しくは、前にエントリにしてますので、このカテゴリの『うさぎごっこ』をお読み頂ければ…と思います。
いらっしゃい。
実際、仰る通りでして、死んだ事を実感した後まで含めると、末っ娘は1箇月くらい引き摺ってましたし、うちのカミさんや小生は3箇月くらい。実際の影響は、ミルクが死んでから3箇月で小生が神経症を患った事も、因果関係は否定出来ない気がします。
コードは、感電しない信号系のケーブルは完全に切断された事がありますが、電源系のコードはビリッときた時点でやめるらしく、完全にやられた事は、低圧系のAC/DCコンバータの直流線以外ではありません。
詳しくは、前にエントリにしてますので、このカテゴリの『うさぎごっこ』をお読み頂ければ…と思います。
Posted by 壇那院 at 2006年12月24日 23:51