2011年09月13日
3人だけの帰省
8月13日早朝(と云うより12日の深夜)カミさんと末っ娘の3人で、夏の帰省に出撃した。
目指すは愛知県豊明市内のカミさんの実家。
モエ長男はバイトが休めず、味馬鹿次男は行けるはずも無い。
目指すは愛知県豊明市内のカミさんの実家。
モエ長男はバイトが休めず、味馬鹿次男は行けるはずも無い。
なにしろ、味馬鹿の今度の退職・帰宅は、まだどちらの祖父さん祖母さんにも話していないのだ。特に豊明の祖母さんは、親元離れた孫が近所(車で1時間なら近所だろう)に就職したというので、この1年間、舞い上がりっ放しだったのだから、「会社辞めて帰って来た」なぞと話せば、その落胆は容易に想像出来るし、オコチャマ祖父さんに至っては、味馬鹿に妙な期待を抱き始めているのが歴然としていたので、何を言われるか知れたものではない。
特に祖父さんは、キレると言うことに見境が無くなり、後先まったく考えない言動を弄する傾向があるので、怒らせないが吉だ。なにしろ、その時その場の相手をやっつけるためになら、自分の利害まで無視した言動を弄するのだから、始末が悪い。何も考えていないとしか思えないのだが、それでも味馬鹿にしてみれば、自分の祖父さんである。実の祖父に悪し様に罵られたり侮辱されるのはかなわないのだ。
それは両親であり、娘と婿であるカミさんと小生も、同様である。祖父さんと血縁が無い、関係者中唯一の存在である小生にしても、倅が傷つくのは極力避けたい。
当分、知らせる訳には行かないのだ。
となれば、味馬鹿は帰省に同行しないが吉である。
そういう訳で、モエと2人で家で留守番と相成った。
先月味馬鹿と関に行った時と同じ要領で出発しようと、金曜の晩、早めに晩飯にして仮眠に入ったのだが、支度に少し手間取って(さすがに今度は日帰りではないから、ちょっと支度が要ったのだ)、出発は0350時になった。
出発してすぐにガス・チャージし、満タンに。さらに神戸岩に持って行ったまま積みっ放しになっていたキャンプ・チェアを仕舞いに倉庫に寄り、それから高速に向かった。倉庫を出てすぐに、カミさんが携帯で渋滞情報検索。国立府中-八王子IC間で事故渋滞。直接八王子ICに向かうことにした。
中央道に乗った頃には、もう明るくなって来ていたのだが、それでも順調である。逆に先程の事故渋滞で、都心方向からの車が来ないからだ。
前回通った時にルートを間違えた大月JCTは、圏央道八王子JCTからここまで拡幅された影響で、やはり構造が大幅に変更になっていた。かつては本線に途中から戻れた河口湖線分岐は、一旦入ってしまうと、もう戻れない。戻り口が閉鎖されていた。
そのまま延々進み続ける。すると、談合坂SAを過ぎたあたりで、ある意味見慣れた看板が見えた。
「8月15日 諏訪湖SA 入場規制」
カミさんと2人で「あっ!」と声をあげてしまったのである。
しまった。帰路の15日の夕方、諏訪湖の花火大会があるのだ。諏訪湖SAは花火見物の絶景ポイントとして有名で、毎年この日の夕方から大混雑するのである。放っておけば本線路上駐車が出現する程のものなのだそうだ。
これは帰りの高速は覚悟がいる。場合によっては東名という帰路選択も念頭におかなければ。少なくとも、当日は1500時には諏訪湖SA前を通過していなければなるまい。
この花火大会、とにかくお盆の帰省時期である8月15日に必ずやるので、要注意なのである。(曜日は関係無い)
だがこの日はまだ2日前、花火大会は準備中であり、高速上から見える諏訪湖上にも、まだ打ち上げ台の筏も出ていない。
とにかく先を急ごう。
途中、カミさんと運転交替。恵那山トンネルを過ぎてからまた交替し、土岐JCTを経て東海環状道に入る。

刈谷ハイウェイ・オアシスに着いたのは、1030時頃だった。ここで少し長く休憩だ。なにしろ今回の帰省は、いつもより気合いが要る。それに、カミさんの予想では、晩飯の食材を買って行かないと、昼飯はおろか、晩飯まで外食になりかねない。娘のカミさんとしては、最早年金生活者である自分の父親に、いいカッコしいで娘夫婦に奢るのを、いい加減制限したい訳である。それも出来るだけやんわりと。
だいたい、せっかちが服着て歩いているようなオコチャマ祖父さんは、メニューを開いた瞬間からうるさいのだ。とにかくゆっくりさせてくれない。(それでも当人は精一杯もてなしているつもりなのだ)
それなら、カミさんが総ての台所仕事をしなければならなくなるが、実家で飯を作って喰った方が、ゆったり出来るという訳である。
地下の鮮魚売場は、前回買い物した時同様、安くて新鮮な物が豊富に揃っている。(無論、東京・多摩との比較だ)家の近所で見掛けたのなら、そのまま買って帰ろうかというような尾頭付きのハマチがあったのだが、今は我が家に持ち帰るための買い物ではないため、かなり迷った。尾頭付きで買って帰っても、祖母さんの家の包丁では、さすがのカミさんも捌けないのである。40センチくらいのハマチだったが、3枚におろしてくれるよう、魚屋に頼んで、買うことにしたのは、さんざん悩んで、20分後であった。
刈谷を出ると、祖父さん宅までは30分程度である。
到着は、だいたい1200時であった。刈谷では1時間近くのんびりしていた事になる。
祖父さん祖母さんは待っていた。荷を解くのもそこそこに、祖父さんの車に全員乗って、昼飯に向かう。
「疲れているので近いところにしてくれ」と3人で意見を揃えておいたので、近場(車で数分)のファミレスでの昼飯となった。(やはり祖父さんはちょっと遠くとも豪華に喰える所を考えていた様だったが…)
祖父さん宅に戻ると、もはや小生もカミさんも限界である。
夜中の1時からほとんど起きっ放しなのだ。末っ娘諸共、3人で爆睡であったが、晩飯の支度のこともあるので、携帯の目覚ましは1600時にセットしてからの就寝であった。祖母さんには晩飯の食材を買い込んだと、言ってあったが、それを祖父さんが聞いていた保証は無いのだ。聞いていたとしても、娘夫婦に奢りたくてウズウズしている頭に、重要情報としてインプットされるとは思えない。その辺の中年以上の男の間抜けっぷりは、小生自身経験があるので、やんわり誘導する手も、思い着くというものだ。
一般的な晩飯の支度の開始時刻には、カミさんと一緒に起きて、晩飯が出来てくるのを待っている亭主の格好を、していなければなるまい。(家ではこの場合、カミさんと一緒に台所にいる事が多いのだが…)
そんな訳で、わずか3時間の昼寝なのであった。
無論、4時間後にはまた3人共、白河夜船であった事は云うまでも無い。
2日目、8月14日。
朝は何時に起きたのか憶えていないが、少なくともカミさんは、0700時には起きて台所に入っていた様だ。
普段家では休日の朝は遅いのだが、ここに来ているとそうは行かない。
前夜のうちに祖母ちゃんと約束していたそうで、末っ娘は10時には祖父さん祖母さんと買い物に出掛けて行った。南大高のイオンモールに服を買ってもらいに、である。
小生とカミさんは別行動の予定で、晩飯の買い出しと、関東ではお目に掛かれない懸賞ネタを探しに、近所のスーパーを4、5軒回る計画だったのだが、とりあえずは2人きりになった祖父さん宅でしばらくのんびりである。
なにしろ末っ娘も、最早12才。買い物の付き合い手として、祖母ちゃんが手に余ったら、末っ娘がお助けコールをして来る可能性は大だったのだ。
実際、11時半くらいに祖父さんの携帯を使って、末っ娘からヘルプコールが入った。南大高のイオンモールは去年オープンしたばかりだが、偶然場所は知っている。小生の運転では、確実に30分以上かかる場所なので、ゆっくり行こう。祖父さん達と一緒に外で昼飯を喰うのも、面倒だ。
実際、30分以上かかった。先行の3人は軽く昼飯を喰っていたので、末っ娘の服選びに付き合った後、2人で軽い昼飯。末っ娘はデザートを喰っていた。
そのままイオン(ジャスコ)で晩飯の材料の買い出しをし、祖父さん宅に戻ったのだった。
その晩、義妹一家来襲。
5人全員が祖父さん宅で揃ってすぐに予告の電話はあったのだが、カミさんにしてみればまたぞろ面倒事には違いない。まぁ、姉妹なのだから帰省すれば会うのは当然なのかも知れないが。(小生の実家では、正月でも3人姉弟が揃う事は滅多に無い)
とにかく、義弟は後から来るとのことで、義妹と2人の甥が、先行して来るという。祖母さん達がこれを迎えに行ったのだが、その際、カミさんが祖母さんに義妹あての伝言を頼んだ。晩飯の食材は5人で喰う量しか買っていないから、自分達の分の食材を調達して来るように、と。
その後は祖父さん祖母さんがいないのんびりムードなのだが、祖母さんの、義弟に対する遠慮が、妙なところで悪影響しなければいいが、という懸念は小生の中ではあった。
情報伝達においては、甘え・予断・遠慮は、かなり重大な阻害要因になるが、祖母さんにはそれらが満載されているからだ。
とにかく、カミさんは晩飯の支度を始めたが、祖父さん祖母さんがいないから、小生も遠慮なく立ち働ける。アイスコーヒーひとつ飲むのに、いちいちカミさんに頼む必要も無い。カミさんが昔風の主婦しているような演技に、参加する必要が無いのだから。
義妹と2人の甥、到着。やはり問題発生。
義妹、9人の人数分の寿司の詰め合わせを買って来たのである。
おいおい、こっちの家族分はいらなかったんだぜ?
まぁ、2人の甥もかなりデカくなっていたから、なんとかなるかな?
とにかく、祖母ちゃんが舞い上がって財布のひもをゆるめたのも原因らしい。文句を言っても始まらない。とにかく喰い始めた。カミさんの手料理も出来上がってきたところであった。山かけと味噌汁である。小生のリクエストなのだ。
義弟到着。ビールを開けるが、奴さんは去年から禁酒しているので、飲むのは小生とカミさんばかりだ。
義妹の、味馬鹿が同行していない事に対する、妙な勘違い(言い間違い?)に、一瞬ひやりとさせられた。
カミさんもひやりとしたらしく、変な反応をして馬脚を現さないでくれよ……。
大丈夫、用意してあったシナリオ通りに押し通した。
やれやれ……。
しかし理不尽な勘違いをしてくれたものである。
それとも、日頃から味馬鹿が寄り付かなくなっていた事を、祖母さんに愚痴られていて、チクリとやったつもりだったのか……?
なんとか全部の料理を片付けて、義妹一家は帰って行った。
2200時になっていた。
こっちも明日は早起きだ。
もう寝ることにした。祖父さん達には悪いが、明朝、もう帰るのである。
8月15日 3日目
起床は早かった。
軽く朝飯にすると、早々と荷物をドミンゴに積み込む。
みやげは、事実上無い。野菜少々と、祖母さんが貯め込んでいた懸賞応募用のマーク類(食品やお菓子のパッケージ)が手提げ袋一つ分程度だった。
あまり名残を惜しんで時間を使うわけには行かないので、あっさり豊明のカミさんの実家を出発したのだった。だいたい、こういう精神的に妙な余裕が生まれる瞬間が、余計な一言を言ってしまう危険性が高いのだ。
渋滞情報は、なのしろお盆の真っ最中である。東名・中央どちらも、この先どうなるか判らないが、今のところどちらも空いている。豊明ICで東海環状に乗ってから、刈谷HOで情報確認しよう。

どうも東名だと、日本坂周辺の渋滞が始まるまでに、通過出来そうにない。やはり中央道を行くことにした。
国分寺で待つモエと味馬鹿に、ちょっとは土産も買って行こう。
HOの中の売店で、「ういろう」を3本買った。まぁ、なま物だが、今日中に帰宅出来るのだから、保つだろう。(実際は、帰宅してから2日くらい喰うのを忘れていて、冷蔵していたのだが、ギリギリで喰うことになってしまったのだった)
刈谷HOを出て、東海環状から中央道東京方面に入る。
そこから大して走らぬ距離に、神坂(ミサカと読む)PAがあり、少し早いが昼飯にすることにした。1020時であった。
20年近く前、初めて立ち寄った時は、トイレ以外何も無いPAだったのだが、最近拡張して売店を作ったらしい。驚く程立派になっていたし、一般道への歩行者出入り口まである。

このアングル、以前は森と伐採されて草原になった部分が半々に写っていただけだったはずなのだ。地形としては、小高い丘になっていたと思う。
帰宅してからNEXCO中日本のHPで調べてみたら、ここがこの形態になってから半年程度だったらしい。
小さいが食堂があり、入って蕎麦と「めんば飯」のセットで、「湯舟のめんば飯」というのを喰った。

弁当定食と称しているのは、小振りな曲げ物の弁当箱(喰うときはスタックして2段重ねになるのだが、逆さにすると入子になって普通の弁当箱になる)にアマゴの甘露煮その他のおかずと、飯が入っているからだ。蕎麦と併せて、かなりのヴォリュームだ。
蕎麦も美味い。
まぁ、当たり前か。ここから歩いて行ける距離に、馬籠の宿があるはずなのだから。
そういう土地なのだ。
大満足で、PAを出た。
11時を過ぎていた。
次に中央道を走る時は、予め調べて、食い物が美味そうなPAを選んで休憩場所を決めて行こう、とカミさんと話し合ったのだった。
つまり「中央道食い倒れ」である。
途中、カミさんと運転交替。
1240時、諏訪湖SA前を通過。
あと数時間で、諏訪湖花火大会が始まる。
路肩で諏訪湖側に視界がひらけている所は、総てカラーコーンが並べてある。SA入り口も出口も、同様だ。ここまで物々しい警備体制とは思わなかった。
助手席から、思わず携帯を構えてしまったのだった。
SAの中の駐車場は、すでに一杯だ。
さらに走って、中央道原PA(だったと思う)で、再び運転を交替する。
その後、談合坂付近でとうとう渋滞につかまった。
ガソリン残量がかなり寂しくなってきてからの渋滞は、結構な不安を煽るもので、又、せっかくここまで順調だった旅が、ここで尻切れトンボ気分になるのも業腹なので、上野原ICで下に降りることにしたのであった。
ついでに、馴染みだが、最近行っていない和田峠を通って行こうということになった。
R20を若干東に進み、上野原工業団地入り口交差点へ向かう。交差点の少し向こうのGSで給油し、県道521号に入る。舗装はされているが、山道だ。工業団地前を通過して、和田林道に合流する。
この林道、和田峠や陣馬山に行く時に必ず通る道なのだが、普通は八王子から藤野・上野原に抜けるのであって、今回は逆コースだ。
和田峠はスルーパス。「夕焼け小焼けの里」もパス。
最後に通ったのは8年くらい前だが、林道の八王子側(陣馬街道)が、かなり整備され、通り易い。昔は下案下バス停より山側は、登りの一方通行も同然の地元ルールだったのだが、「夕焼け小焼けの里」が出来て、そこまでの道が拡幅され、今では峠道でも車同士のすれ違いに左程の苦労は無かった。
そのまま陣馬街道を八王子四谷まで進み、地図でカミさんが見付けたスーパー(いつも行く武蔵村山の店の別支店)に向かって道をそれた。
そのスーパーで晩飯の買い物。
そのまま道をそれ続けて、R16八王子バイパス末端に向かうコースに乗る。途中、道の駅「八王子滝山」に寄った。ここは初めて入る「道の駅」なのだ。

ここで17時を迎えた。地場産の野菜をちょっと買って、家路に就く。
18時には、留守居のモエと味馬鹿の顔を見ていた。
3人だけの、せわしない帰省旅であった。
特に祖父さんは、キレると言うことに見境が無くなり、後先まったく考えない言動を弄する傾向があるので、怒らせないが吉だ。なにしろ、その時その場の相手をやっつけるためになら、自分の利害まで無視した言動を弄するのだから、始末が悪い。何も考えていないとしか思えないのだが、それでも味馬鹿にしてみれば、自分の祖父さんである。実の祖父に悪し様に罵られたり侮辱されるのはかなわないのだ。
それは両親であり、娘と婿であるカミさんと小生も、同様である。祖父さんと血縁が無い、関係者中唯一の存在である小生にしても、倅が傷つくのは極力避けたい。
当分、知らせる訳には行かないのだ。
となれば、味馬鹿は帰省に同行しないが吉である。
そういう訳で、モエと2人で家で留守番と相成った。
先月味馬鹿と関に行った時と同じ要領で出発しようと、金曜の晩、早めに晩飯にして仮眠に入ったのだが、支度に少し手間取って(さすがに今度は日帰りではないから、ちょっと支度が要ったのだ)、出発は0350時になった。
出発してすぐにガス・チャージし、満タンに。さらに神戸岩に持って行ったまま積みっ放しになっていたキャンプ・チェアを仕舞いに倉庫に寄り、それから高速に向かった。倉庫を出てすぐに、カミさんが携帯で渋滞情報検索。国立府中-八王子IC間で事故渋滞。直接八王子ICに向かうことにした。
中央道に乗った頃には、もう明るくなって来ていたのだが、それでも順調である。逆に先程の事故渋滞で、都心方向からの車が来ないからだ。
前回通った時にルートを間違えた大月JCTは、圏央道八王子JCTからここまで拡幅された影響で、やはり構造が大幅に変更になっていた。かつては本線に途中から戻れた河口湖線分岐は、一旦入ってしまうと、もう戻れない。戻り口が閉鎖されていた。
そのまま延々進み続ける。すると、談合坂SAを過ぎたあたりで、ある意味見慣れた看板が見えた。
「8月15日 諏訪湖SA 入場規制」
カミさんと2人で「あっ!」と声をあげてしまったのである。
しまった。帰路の15日の夕方、諏訪湖の花火大会があるのだ。諏訪湖SAは花火見物の絶景ポイントとして有名で、毎年この日の夕方から大混雑するのである。放っておけば本線路上駐車が出現する程のものなのだそうだ。
これは帰りの高速は覚悟がいる。場合によっては東名という帰路選択も念頭におかなければ。少なくとも、当日は1500時には諏訪湖SA前を通過していなければなるまい。
この花火大会、とにかくお盆の帰省時期である8月15日に必ずやるので、要注意なのである。(曜日は関係無い)
だがこの日はまだ2日前、花火大会は準備中であり、高速上から見える諏訪湖上にも、まだ打ち上げ台の筏も出ていない。
とにかく先を急ごう。
途中、カミさんと運転交替。恵那山トンネルを過ぎてからまた交替し、土岐JCTを経て東海環状道に入る。

刈谷ハイウェイ・オアシスに着いたのは、1030時頃だった。ここで少し長く休憩だ。なにしろ今回の帰省は、いつもより気合いが要る。それに、カミさんの予想では、晩飯の食材を買って行かないと、昼飯はおろか、晩飯まで外食になりかねない。娘のカミさんとしては、最早年金生活者である自分の父親に、いいカッコしいで娘夫婦に奢るのを、いい加減制限したい訳である。それも出来るだけやんわりと。
だいたい、せっかちが服着て歩いているようなオコチャマ祖父さんは、メニューを開いた瞬間からうるさいのだ。とにかくゆっくりさせてくれない。(それでも当人は精一杯もてなしているつもりなのだ)
それなら、カミさんが総ての台所仕事をしなければならなくなるが、実家で飯を作って喰った方が、ゆったり出来るという訳である。
地下の鮮魚売場は、前回買い物した時同様、安くて新鮮な物が豊富に揃っている。(無論、東京・多摩との比較だ)家の近所で見掛けたのなら、そのまま買って帰ろうかというような尾頭付きのハマチがあったのだが、今は我が家に持ち帰るための買い物ではないため、かなり迷った。尾頭付きで買って帰っても、祖母さんの家の包丁では、さすがのカミさんも捌けないのである。40センチくらいのハマチだったが、3枚におろしてくれるよう、魚屋に頼んで、買うことにしたのは、さんざん悩んで、20分後であった。
刈谷を出ると、祖父さん宅までは30分程度である。
到着は、だいたい1200時であった。刈谷では1時間近くのんびりしていた事になる。
祖父さん祖母さんは待っていた。荷を解くのもそこそこに、祖父さんの車に全員乗って、昼飯に向かう。
「疲れているので近いところにしてくれ」と3人で意見を揃えておいたので、近場(車で数分)のファミレスでの昼飯となった。(やはり祖父さんはちょっと遠くとも豪華に喰える所を考えていた様だったが…)
祖父さん宅に戻ると、もはや小生もカミさんも限界である。
夜中の1時からほとんど起きっ放しなのだ。末っ娘諸共、3人で爆睡であったが、晩飯の支度のこともあるので、携帯の目覚ましは1600時にセットしてからの就寝であった。祖母さんには晩飯の食材を買い込んだと、言ってあったが、それを祖父さんが聞いていた保証は無いのだ。聞いていたとしても、娘夫婦に奢りたくてウズウズしている頭に、重要情報としてインプットされるとは思えない。その辺の中年以上の男の間抜けっぷりは、小生自身経験があるので、やんわり誘導する手も、思い着くというものだ。
一般的な晩飯の支度の開始時刻には、カミさんと一緒に起きて、晩飯が出来てくるのを待っている亭主の格好を、していなければなるまい。(家ではこの場合、カミさんと一緒に台所にいる事が多いのだが…)
そんな訳で、わずか3時間の昼寝なのであった。
無論、4時間後にはまた3人共、白河夜船であった事は云うまでも無い。
2日目、8月14日。
朝は何時に起きたのか憶えていないが、少なくともカミさんは、0700時には起きて台所に入っていた様だ。
普段家では休日の朝は遅いのだが、ここに来ているとそうは行かない。
前夜のうちに祖母ちゃんと約束していたそうで、末っ娘は10時には祖父さん祖母さんと買い物に出掛けて行った。南大高のイオンモールに服を買ってもらいに、である。
小生とカミさんは別行動の予定で、晩飯の買い出しと、関東ではお目に掛かれない懸賞ネタを探しに、近所のスーパーを4、5軒回る計画だったのだが、とりあえずは2人きりになった祖父さん宅でしばらくのんびりである。
なにしろ末っ娘も、最早12才。買い物の付き合い手として、祖母ちゃんが手に余ったら、末っ娘がお助けコールをして来る可能性は大だったのだ。
実際、11時半くらいに祖父さんの携帯を使って、末っ娘からヘルプコールが入った。南大高のイオンモールは去年オープンしたばかりだが、偶然場所は知っている。小生の運転では、確実に30分以上かかる場所なので、ゆっくり行こう。祖父さん達と一緒に外で昼飯を喰うのも、面倒だ。
実際、30分以上かかった。先行の3人は軽く昼飯を喰っていたので、末っ娘の服選びに付き合った後、2人で軽い昼飯。末っ娘はデザートを喰っていた。
そのままイオン(ジャスコ)で晩飯の材料の買い出しをし、祖父さん宅に戻ったのだった。
その晩、義妹一家来襲。
5人全員が祖父さん宅で揃ってすぐに予告の電話はあったのだが、カミさんにしてみればまたぞろ面倒事には違いない。まぁ、姉妹なのだから帰省すれば会うのは当然なのかも知れないが。(小生の実家では、正月でも3人姉弟が揃う事は滅多に無い)
とにかく、義弟は後から来るとのことで、義妹と2人の甥が、先行して来るという。祖母さん達がこれを迎えに行ったのだが、その際、カミさんが祖母さんに義妹あての伝言を頼んだ。晩飯の食材は5人で喰う量しか買っていないから、自分達の分の食材を調達して来るように、と。
その後は祖父さん祖母さんがいないのんびりムードなのだが、祖母さんの、義弟に対する遠慮が、妙なところで悪影響しなければいいが、という懸念は小生の中ではあった。
情報伝達においては、甘え・予断・遠慮は、かなり重大な阻害要因になるが、祖母さんにはそれらが満載されているからだ。
とにかく、カミさんは晩飯の支度を始めたが、祖父さん祖母さんがいないから、小生も遠慮なく立ち働ける。アイスコーヒーひとつ飲むのに、いちいちカミさんに頼む必要も無い。カミさんが昔風の主婦しているような演技に、参加する必要が無いのだから。
義妹と2人の甥、到着。やはり問題発生。
義妹、9人の人数分の寿司の詰め合わせを買って来たのである。
おいおい、こっちの家族分はいらなかったんだぜ?
まぁ、2人の甥もかなりデカくなっていたから、なんとかなるかな?
とにかく、祖母ちゃんが舞い上がって財布のひもをゆるめたのも原因らしい。文句を言っても始まらない。とにかく喰い始めた。カミさんの手料理も出来上がってきたところであった。山かけと味噌汁である。小生のリクエストなのだ。
義弟到着。ビールを開けるが、奴さんは去年から禁酒しているので、飲むのは小生とカミさんばかりだ。
義妹の、味馬鹿が同行していない事に対する、妙な勘違い(言い間違い?)に、一瞬ひやりとさせられた。
カミさんもひやりとしたらしく、変な反応をして馬脚を現さないでくれよ……。
大丈夫、用意してあったシナリオ通りに押し通した。
やれやれ……。
しかし理不尽な勘違いをしてくれたものである。
それとも、日頃から味馬鹿が寄り付かなくなっていた事を、祖母さんに愚痴られていて、チクリとやったつもりだったのか……?
なんとか全部の料理を片付けて、義妹一家は帰って行った。
2200時になっていた。
こっちも明日は早起きだ。
もう寝ることにした。祖父さん達には悪いが、明朝、もう帰るのである。
8月15日 3日目
起床は早かった。
軽く朝飯にすると、早々と荷物をドミンゴに積み込む。
みやげは、事実上無い。野菜少々と、祖母さんが貯め込んでいた懸賞応募用のマーク類(食品やお菓子のパッケージ)が手提げ袋一つ分程度だった。
あまり名残を惜しんで時間を使うわけには行かないので、あっさり豊明のカミさんの実家を出発したのだった。だいたい、こういう精神的に妙な余裕が生まれる瞬間が、余計な一言を言ってしまう危険性が高いのだ。
渋滞情報は、なのしろお盆の真っ最中である。東名・中央どちらも、この先どうなるか判らないが、今のところどちらも空いている。豊明ICで東海環状に乗ってから、刈谷HOで情報確認しよう。

どうも東名だと、日本坂周辺の渋滞が始まるまでに、通過出来そうにない。やはり中央道を行くことにした。
国分寺で待つモエと味馬鹿に、ちょっとは土産も買って行こう。
HOの中の売店で、「ういろう」を3本買った。まぁ、なま物だが、今日中に帰宅出来るのだから、保つだろう。(実際は、帰宅してから2日くらい喰うのを忘れていて、冷蔵していたのだが、ギリギリで喰うことになってしまったのだった)
刈谷HOを出て、東海環状から中央道東京方面に入る。
そこから大して走らぬ距離に、神坂(ミサカと読む)PAがあり、少し早いが昼飯にすることにした。1020時であった。
20年近く前、初めて立ち寄った時は、トイレ以外何も無いPAだったのだが、最近拡張して売店を作ったらしい。驚く程立派になっていたし、一般道への歩行者出入り口まである。

このアングル、以前は森と伐採されて草原になった部分が半々に写っていただけだったはずなのだ。地形としては、小高い丘になっていたと思う。
帰宅してからNEXCO中日本のHPで調べてみたら、ここがこの形態になってから半年程度だったらしい。
小さいが食堂があり、入って蕎麦と「めんば飯」のセットで、「湯舟のめんば飯」というのを喰った。

弁当定食と称しているのは、小振りな曲げ物の弁当箱(喰うときはスタックして2段重ねになるのだが、逆さにすると入子になって普通の弁当箱になる)にアマゴの甘露煮その他のおかずと、飯が入っているからだ。蕎麦と併せて、かなりのヴォリュームだ。
蕎麦も美味い。
まぁ、当たり前か。ここから歩いて行ける距離に、馬籠の宿があるはずなのだから。
そういう土地なのだ。
大満足で、PAを出た。
11時を過ぎていた。
次に中央道を走る時は、予め調べて、食い物が美味そうなPAを選んで休憩場所を決めて行こう、とカミさんと話し合ったのだった。
つまり「中央道食い倒れ」である。
途中、カミさんと運転交替。
1240時、諏訪湖SA前を通過。
あと数時間で、諏訪湖花火大会が始まる。
路肩で諏訪湖側に視界がひらけている所は、総てカラーコーンが並べてある。SA入り口も出口も、同様だ。ここまで物々しい警備体制とは思わなかった。
助手席から、思わず携帯を構えてしまったのだった。


SAの中の駐車場は、すでに一杯だ。
さらに走って、中央道原PA(だったと思う)で、再び運転を交替する。
その後、談合坂付近でとうとう渋滞につかまった。
ガソリン残量がかなり寂しくなってきてからの渋滞は、結構な不安を煽るもので、又、せっかくここまで順調だった旅が、ここで尻切れトンボ気分になるのも業腹なので、上野原ICで下に降りることにしたのであった。
ついでに、馴染みだが、最近行っていない和田峠を通って行こうということになった。
R20を若干東に進み、上野原工業団地入り口交差点へ向かう。交差点の少し向こうのGSで給油し、県道521号に入る。舗装はされているが、山道だ。工業団地前を通過して、和田林道に合流する。
この林道、和田峠や陣馬山に行く時に必ず通る道なのだが、普通は八王子から藤野・上野原に抜けるのであって、今回は逆コースだ。
和田峠はスルーパス。「夕焼け小焼けの里」もパス。
最後に通ったのは8年くらい前だが、林道の八王子側(陣馬街道)が、かなり整備され、通り易い。昔は下案下バス停より山側は、登りの一方通行も同然の地元ルールだったのだが、「夕焼け小焼けの里」が出来て、そこまでの道が拡幅され、今では峠道でも車同士のすれ違いに左程の苦労は無かった。
そのまま陣馬街道を八王子四谷まで進み、地図でカミさんが見付けたスーパー(いつも行く武蔵村山の店の別支店)に向かって道をそれた。
そのスーパーで晩飯の買い物。
そのまま道をそれ続けて、R16八王子バイパス末端に向かうコースに乗る。途中、道の駅「八王子滝山」に寄った。ここは初めて入る「道の駅」なのだ。

ここで17時を迎えた。地場産の野菜をちょっと買って、家路に就く。
18時には、留守居のモエと味馬鹿の顔を見ていた。
3人だけの、せわしない帰省旅であった。
Posted by 壇那院 at 23:25│Comments(2)
│出掛ける
この記事へのコメント
駆け足の帰省、お疲れさまでした。
次男くん本人の意向とは全く関係ないとはいえ、
「男孫」が自分の近所に就職した!となれば、
じいじとしては「あらぬ期待」を抱くのは無理ない、かな。
それが(会社内でとんでもない事態が発生したとはいえ)
知らないうちに辞めてた、となれば、何を口走るかわかりませんよね。
まぁしばらくはのんびりさせてあげてください。
次男くん本人の意向とは全く関係ないとはいえ、
「男孫」が自分の近所に就職した!となれば、
じいじとしては「あらぬ期待」を抱くのは無理ない、かな。
それが(会社内でとんでもない事態が発生したとはいえ)
知らないうちに辞めてた、となれば、何を口走るかわかりませんよね。
まぁしばらくはのんびりさせてあげてください。
Posted by ももっち at 2011年09月17日 09:24
ももっちさん
どこにも書いてないような気がするので、ここで確定しておきますが、豊明の祖父さんには、男の子はいません。娘が2人いるだけです。
その長女は、どう転んでも婿入りしそうにない東京者の長男(小生のことです)と結婚し、23年も続いていますし、次女は岐阜の旧家の、やはり長男と結婚しましたから、学歴&家柄コンプレックスがある祖父さん祖母さんには、手も足も出ないのですね。いきおい、男孫(現在4人います)の誰かに……という、ちょっと非常識かも知れない感覚にとりつかれても、祖父さんの立場からは不思議でもなんでもないと思うのです。
しかも、もう77才ですから……。
なまじ土地持ちの農家の生まれで、自分も土地を持っているが故の、一種の強迫観念だと思います。
不動産というのは商品の一種でしかない、土建屋の家で生まれ育った小生には、たぶん絶対に理解出来ない感覚なのですが、祖父さんには「婿に理解されていない事も理解できていない」のだと思います。
気の毒なことです。
でも、とにかく味馬鹿を守るのが、最優先ですから、奴の気を乱す要因は全力で排除しなければなりません。
実際、のんびりさせているつもりです。ちょっとは職探しをしてもらいたい、とは思いますが、これも親の欲っていう奴なだけで、本人の為かどうかは冷静に考えて行かなければなりませんね。
どこにも書いてないような気がするので、ここで確定しておきますが、豊明の祖父さんには、男の子はいません。娘が2人いるだけです。
その長女は、どう転んでも婿入りしそうにない東京者の長男(小生のことです)と結婚し、23年も続いていますし、次女は岐阜の旧家の、やはり長男と結婚しましたから、学歴&家柄コンプレックスがある祖父さん祖母さんには、手も足も出ないのですね。いきおい、男孫(現在4人います)の誰かに……という、ちょっと非常識かも知れない感覚にとりつかれても、祖父さんの立場からは不思議でもなんでもないと思うのです。
しかも、もう77才ですから……。
なまじ土地持ちの農家の生まれで、自分も土地を持っているが故の、一種の強迫観念だと思います。
不動産というのは商品の一種でしかない、土建屋の家で生まれ育った小生には、たぶん絶対に理解出来ない感覚なのですが、祖父さんには「婿に理解されていない事も理解できていない」のだと思います。
気の毒なことです。
でも、とにかく味馬鹿を守るのが、最優先ですから、奴の気を乱す要因は全力で排除しなければなりません。
実際、のんびりさせているつもりです。ちょっとは職探しをしてもらいたい、とは思いますが、これも親の欲っていう奴なだけで、本人の為かどうかは冷静に考えて行かなければなりませんね。
Posted by 壇那院 at 2011年09月18日 00:52