2011年06月15日
アニー再び:そして東北物産館巡り
4月24日、カミさんとまたも「アニー」を観に、青山に出掛けた。
またもフリカケの懸賞でカミさんが当てたのだが、今年は本来、カミさんと末っ娘で行くべく、応募したものだったのだそうだ。

またもフリカケの懸賞でカミさんが当てたのだが、今年は本来、カミさんと末っ娘で行くべく、応募したものだったのだそうだ。

ところが末っ娘は「アニー」には今一つ気が乗らぬそうで、3年生の時に観たのでもういいと、カミさんの説得にも応じず、小生がカミさんと行くことになったのであった。
…あの時観たのは「アニー」ではなく「アン」だったはずなのだが……。
さて、その「アニー」は、今年からミス・カニガン役が友近さんで、ちょっと前回までの山田邦子さんほどの迫力は無かったが、変な味があって面白かった。(行き遅れ30女のひねくれ者という設定には、合っていた様に思う)
カーテンコールの挨拶では、目黒弘樹さんの募金の呼び掛けがあったのは、この時期当然とも思ったが、やはり素早いな、とも感じた。出演者全員、劇場の出口で募金箱を抱えて立っていたのにも、感じ入るところであった。無い袖振って目黒さんの抱えた募金箱にお金をいれて、劇場を逃げ出したのだったが、出口の外ではふりかけメーカーの営業担当者が大挙してお土産を配っているので、走って逃げる訳には行かなかった。
この公演に当たって、青山・渋谷に夫婦で出た時には、帰りにぶらりと他も回ってみるのを常套にしているのだが、今回は、前回原宿で新潟県の産直ショップに行き当たった経験からもあり、又、今度の震災に何も募金だけで協力するのも芸が無いとも思ったので、東北地方の産直品ショップ巡りを計画していた。カミさんと地図を出力して持って来ていたのである。
東北の特産品ショップは、なにしろ秋田県と北海道の店が、人材銀行と同じ「東京交通会館」の中にあるので、小生には馴染みがある。山形、宮城、福島、岩手、青森と予め自宅で検索してみると、意外にも有楽町/銀座から東京駅周辺にかけて集中しているのが判った。
だが、青山からまた渋谷に歩いて有楽町に向かうのでは、やはり芸が無い。カミさんと2人、ぶらりと恵比寿駅まで歩くことにした。
明治通り沿いにゆっくり歩く。
25才まで原宿に住み、恵比寿から代々木あたりまでが中学時代の行動範囲だった小生としては、もう40年近く経ってしまってはいても、かつては自転車で恵比寿に住む友達の家に遊びに通った道である。風景も道の様子もまるで変わってしまっていても、やはり内心の感慨はある。
途中で美味そうなインド料理屋を見掛けて、カミさんと昼飯にした。日曜日だというのにランチメニューがあるのはありがたかった。美味かった。
恵比寿からは山手線で有楽町まで移動。
駅前の東京交通会館には、前述の様に秋田県と北海道の物産店があるのだが、建物に入る前から、表玄関前でにぎにぎしく東北物産フェアをやっている。これで、有楽町駅から東京駅まで歩く途中というには、ちょっと寄り道が過ぎると思っていた新富町にある青森県や、銀座でも築地に近いところになる岩手県、東池袋にある宮城県の物産も、一部見られることになったのである。
まことにラッキーであった。
試食で美味かった物を少し買う。カミさんは野菜を買った様だ。
それから、交通会館内の2軒のアンテナショップに入り、のんびり東京駅に向かって歩く。
途中で、山形県と福島県の店を探して入った。小生としては「もしや…」と、半ば期待していた福島県産品(酒)があったのだが、残念ながらそれは置いていなかった。が、代わりに買った甘酒がえらく美味かったので、探した甲斐はあったのであった。
時間の余裕があったので、沖縄の店にも入ってみたが、結局、倅達の高校時代の修学旅行の土産と、同じ物が目に入るばかりで、新しい発見はあまり無い。島唐辛子は魅力だったが、次男が買って来なかっただけあり、今の懐(ふところ)にはかなり厳しい物であった。
帰途、カミさんとの雑談は、次男や末っ娘と行った懸賞ツアーでの東北の思い出話だった。
実際、小生は福島と山形、カミさんは福島と宮城に、結構な回数、世話になっているのである。
カミさんが小学生時代の次男と、末っ娘と、2回行っている宮城県松島は、今回の震災で壊滅的打撃を受け、かつての面影は最早無いとのこと。
小生が2回も行った福島県須賀川市は、灌漑用ダムの決壊で、集落一つが壊滅したと聞く。
同じく福島県本宮市は、辛うじて避難区域に指定されなかったとは云え、不安は尽きないであろう。
日本海側の山形の被害が少なかったのを、幸いと取るか、それでも災難だったと取るか、余所者の小生には評価する事自体がおこがましいが、とにかく、ぴこどんとhideさんが無事だったのは喜ばしい。
東北人の強さを信じたい。
東京で、出稼ぎ者としての彼等を見、話す機会があった時、毎度その芯の強さに感じ入ったものだったが、国が当てに出来ない今、関東、関西、東海等、他地方がいくら気をもんでも、出来ることはこの程度なのである。
なにやら、後半は妙な無力感を感じた1日であった。
…あの時観たのは「アニー」ではなく「アン」だったはずなのだが……。
さて、その「アニー」は、今年からミス・カニガン役が友近さんで、ちょっと前回までの山田邦子さんほどの迫力は無かったが、変な味があって面白かった。(行き遅れ30女のひねくれ者という設定には、合っていた様に思う)
カーテンコールの挨拶では、目黒弘樹さんの募金の呼び掛けがあったのは、この時期当然とも思ったが、やはり素早いな、とも感じた。出演者全員、劇場の出口で募金箱を抱えて立っていたのにも、感じ入るところであった。無い袖振って目黒さんの抱えた募金箱にお金をいれて、劇場を逃げ出したのだったが、出口の外ではふりかけメーカーの営業担当者が大挙してお土産を配っているので、走って逃げる訳には行かなかった。
この公演に当たって、青山・渋谷に夫婦で出た時には、帰りにぶらりと他も回ってみるのを常套にしているのだが、今回は、前回原宿で新潟県の産直ショップに行き当たった経験からもあり、又、今度の震災に何も募金だけで協力するのも芸が無いとも思ったので、東北地方の産直品ショップ巡りを計画していた。カミさんと地図を出力して持って来ていたのである。
東北の特産品ショップは、なにしろ秋田県と北海道の店が、人材銀行と同じ「東京交通会館」の中にあるので、小生には馴染みがある。山形、宮城、福島、岩手、青森と予め自宅で検索してみると、意外にも有楽町/銀座から東京駅周辺にかけて集中しているのが判った。
だが、青山からまた渋谷に歩いて有楽町に向かうのでは、やはり芸が無い。カミさんと2人、ぶらりと恵比寿駅まで歩くことにした。
明治通り沿いにゆっくり歩く。
25才まで原宿に住み、恵比寿から代々木あたりまでが中学時代の行動範囲だった小生としては、もう40年近く経ってしまってはいても、かつては自転車で恵比寿に住む友達の家に遊びに通った道である。風景も道の様子もまるで変わってしまっていても、やはり内心の感慨はある。
途中で美味そうなインド料理屋を見掛けて、カミさんと昼飯にした。日曜日だというのにランチメニューがあるのはありがたかった。美味かった。
恵比寿からは山手線で有楽町まで移動。
駅前の東京交通会館には、前述の様に秋田県と北海道の物産店があるのだが、建物に入る前から、表玄関前でにぎにぎしく東北物産フェアをやっている。これで、有楽町駅から東京駅まで歩く途中というには、ちょっと寄り道が過ぎると思っていた新富町にある青森県や、銀座でも築地に近いところになる岩手県、東池袋にある宮城県の物産も、一部見られることになったのである。
まことにラッキーであった。
試食で美味かった物を少し買う。カミさんは野菜を買った様だ。
それから、交通会館内の2軒のアンテナショップに入り、のんびり東京駅に向かって歩く。
途中で、山形県と福島県の店を探して入った。小生としては「もしや…」と、半ば期待していた福島県産品(酒)があったのだが、残念ながらそれは置いていなかった。が、代わりに買った甘酒がえらく美味かったので、探した甲斐はあったのであった。
時間の余裕があったので、沖縄の店にも入ってみたが、結局、倅達の高校時代の修学旅行の土産と、同じ物が目に入るばかりで、新しい発見はあまり無い。島唐辛子は魅力だったが、次男が買って来なかっただけあり、今の懐(ふところ)にはかなり厳しい物であった。
帰途、カミさんとの雑談は、次男や末っ娘と行った懸賞ツアーでの東北の思い出話だった。
実際、小生は福島と山形、カミさんは福島と宮城に、結構な回数、世話になっているのである。
カミさんが小学生時代の次男と、末っ娘と、2回行っている宮城県松島は、今回の震災で壊滅的打撃を受け、かつての面影は最早無いとのこと。
小生が2回も行った福島県須賀川市は、灌漑用ダムの決壊で、集落一つが壊滅したと聞く。
同じく福島県本宮市は、辛うじて避難区域に指定されなかったとは云え、不安は尽きないであろう。
日本海側の山形の被害が少なかったのを、幸いと取るか、それでも災難だったと取るか、余所者の小生には評価する事自体がおこがましいが、とにかく、ぴこどんとhideさんが無事だったのは喜ばしい。
東北人の強さを信じたい。
東京で、出稼ぎ者としての彼等を見、話す機会があった時、毎度その芯の強さに感じ入ったものだったが、国が当てに出来ない今、関東、関西、東海等、他地方がいくら気をもんでも、出来ることはこの程度なのである。
なにやら、後半は妙な無力感を感じた1日であった。
Posted by 壇那院 at 22:23│Comments(0)
│出掛ける